エジプトの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(3),(6)
登録年1979年

エジプト南部・ヌビア地方に点在する遺跡群で、ナイル川沿いにアブ・シンベル神殿やイシス神殿など、壮麗で巨大な神殿が多く残っています。1960年代にユネスコにより「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」が行われ、世界遺産設立のきっかけとなったことでも有名。

ここでは、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヌビア遺跡群について詳しくなること間違なし!

目次

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群とは?

画像素材:shutterstock

ヌビア地方はエジプト南部からスーダン北部まで広がる地域。「ヌビア」というのは、古代エジプト語の「ヌブ(金)」から由来する言葉で、古代から鉱物資源が多く発掘される場所でありました。

エジプトのファラオたちは、ここを何度も攻め落とし、支配下に置いています。エジプトの新王国時代(紀元前1570〜1069年)になると、この地方を支配するようになり、ファラオの権威として多くの神殿が建造されました。特に「建設王」と呼ばれた、第19王朝のラムセス2世によって築かれたアブ・シンベル神殿を始め、プトレマイオス朝時代(紀元前304〜30年)にはフィラエ島にイシス神殿などを建造。

しかし、1960年代になると、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が始まり、川沿いにあるほぼすべての遺跡が水没することになりました。そこで、ユネスコによって「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」が行われ、建築物は細かく分断されて移設されました。これにより、遺跡や自然を保護する世界遺産リストが創設されるきっかけになったのです。そして、1979年にはヌビアの遺跡も世界遺産に登録されました。

登録されている主な構成遺産

アブ・シンベル神殿

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エジプト新王国時代、第19王朝のラムセス2世が建造した神殿。紀元前1264年頃から約20年かけて建造されたと考えられ、大神殿と小神殿の2つに分けられていました。

まず、大神殿の入口には、高さ22mもある4体のラムセス2世の像が並んでおり、その間には母や王妃、息子、娘の像が彫られています。しかし、正面左から2体目の像は地震により崩壊。また、神殿内にも多くのラムネス2世の像が掘られていて、彼の功績である「カデシュの戦い」で活躍する姿が壁画に描かれています。

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そして、神殿の奥には太陽神であるアメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、メンフィスの守護神であるプタハ神、ラムセス2世の像が置かれており、1年に2回入口から太陽が当たるように設計。これはラムセスの力は神と同列ということを示したかったのだろうと考えられています。

大神殿から北に120m離れた場所には小神殿が築かれていて、これは愛と美の女神であるハトホル神と、ラムセス2世の王妃ネフェルタリに捧げられた神殿です。ちなみに、6体の像がありますが、4体がラムセス2世で2体はネフェルタリ。

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しかし、神殿の建設後、少なくとも6世紀には神殿は先端部分以外はすべて砂に埋まってしまいました。そして、1813年にスイス人の旅行家であるブルクハルトによって発見され、1817年にイタリア人探検家ベルツォーニによって神殿の入口が発見されます。

1960年代になるとアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、移設されることになりました。もともと遺跡があった場所から北へ60m先の丘の上へ移動。建築物は細かく分断され、1968年に工事は終了。かつての神殿跡地は、人造湖であるナセル湖に沈んでいます。

イシス神殿(フィラエ島)

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ヌビア地方の入口でもあるアスワンの町の近郊にあるフィラエ島。これもアスワン・ハイ・ダムの設立により、神殿はフィラエ島から現在のアギルキア島へと移設されました。よって、アギルキア島を現在では「フィラエ島」と呼んでいます。ここには紀元前4〜3世紀に建造された、女神イシス神を祀るイシス神殿があり、主神殿やハトホル神殿、塔門などで構成。

カラブシャ神殿

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もともとはアスワンから南へ50kmも離れた遺跡ではありましたが、ここも湖に沈む運命にあり、1970年にアスワン・ハイ・ダム近くに移設。ここは新王国時代、紀元前1450年頃にアメンホテプ2世よって建造されたものではありますが、紀元前1世ころに再現され、4世紀にはキリスト教の聖堂として使用されていました。

未完成のオベリスク(切りかけのオベリスク)

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アスワンにかつてあった採掘場に残されたオベリスク。第18王朝時代のファラオであるハトシェプスト女王によって依頼されたもので、完成すればおそらく42mにもなったと考えられています。

エレファンティネ島

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ナイル川の中洲で、アスワンからほど近い距離にあるもの。ここはかつて古代エジプトの南端の地であると考えられていました。新王国時代に建造された、創造神クヌムを祀る神殿やナイル川の水位を測定するナイロメーターが残されています。

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

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ヌビア遺跡群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ヌビアの遺跡群は、人類の創造的資質を示しているということ。

登録基準(iii)
ヌビア地方に点在する遺跡は、かつてヌビア地方までエジプト文明が領土を広げていたという証拠であるということ。

登録基準(vi)
「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」が世界遺産設立のきっかけになったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

古代エジプトにとって経済の基盤を支える存在だったヌビア地方は古くから征服され、ここにはかつて栄えたエジプト文明の足跡が多く残されているという点で評価されています。もちろん、遺跡としてもずば抜けて価値は高いのですが、それ以上に大事なのは、世界遺産という概念が誕生するきっかけになったのがヌビア遺跡の保護キャンペーンだったということ。

ちなみに、作家アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆した「オールド・カタラクト」は、アスワンにあり、現在でも営業中です。近くに「ニュー・カタラクト」なんてホテルがありましたが、残念ながら今では閉館。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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