登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (5) |
登録年 | 2001年 |
アッコはイスラエル北西部に位置する港湾都市。ここは紀元前3000年ころから人が住んでいた形跡が残り、プトレマイオス朝エジプトやローマ帝国、イスラム勢力、十字軍など、さまざまな国々や勢力に支配されてきました。現在の旧市街はジャッザール・モスクなど、オスマン帝国時代に再建されたものがほとんどですが、地下には十字軍時代の聖ヨハネ騎士団の建造物の遺構が残っています。
ここではアッコ旧市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アッコ旧市街について詳しくなること間違いなし!
アッコ旧市街とは?
地中海に面した港湾都市であるアッコは、紀元前15〜8世紀に地中海交易で繁栄したフェニキア人の時代からの港町。ここは12〜13世紀の十字軍の時代にはキリスト教の勢力とイスラム教徒の勢力が激しく争い、一時期はエルサレム王国の首都になるほどでしたが、1291年にアッコは陥落。それ以降はイスラム王朝のマムルーク朝、オスマン帝国に支配されるようになり、現在の町並みは18〜19世紀に再建されたもの。
現在の城壁に囲まれた旧市街は、狭い路地の中にモスクや隊商宿、公衆浴場などが点在していて、当時の構造を今でも残しています。そして、旧市街の地下には、1104〜1291年の十字軍時代の遺構がそのまま埋もれていて、これらは十字軍の主力であった聖ヨハネ騎士団によって建造されたもの。
ジャッザール・モスク
アッコ旧市街の城壁内にある1781年に建造されたモスク。ジャッザールとは、この地域の知事であったアフマド・パシャ・ジャッザール(1720〜1804年)のことで、彼はかのナポレオンがこの地を攻めた時に防衛したことで有名です。
モスクは彼自身が設計し、当時の首都であったイスタンブールのモスクを意識したもので、神学校や図書館、イスラム法廷なども含む複合施設で、エルサレムを除けばイスラエル最大。ここはシャアル・アンナビーと呼ばれる、預言者ムハンマドの顎髭が納められていることでも知られます。
アッコ旧市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アッコ旧市街が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アッコ旧市街は、18〜19世紀のイスラム教徒による要塞都市であるにもかかわらず、地下には十字軍時代の遺跡が保存されているという、世界でもまれに見る歴史都市であるという点。
登録基準(iii)
アッコ旧市街の地下にある十字軍時代の遺跡は、当時の十字軍によるエルサレム王国であった首都の構造や区画がよく分かるということ。
登録基準(v)
アッコ旧市街は、十字軍の建造物の上に築かれ、要塞やモスク、隊商宿、公衆浴場など、オスマン帝国時代の城壁に囲まれた都市の例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
現在のアッコ旧市街は、オスマン帝国時代に再建された要塞都市で、当時のモスクや隊商宿、公衆浴場などが残っているにもかかわらず、地下には十字軍時代の遺構がそのまま残っていて、世界でも稀に見る都市構造を持っているという点で評価されています。
ちなみに、アッコの世界遺産は旧市街だけでなく、バハーイー廟の創始者であるバハーウッラーが流刑となり、この地に住んだことから彼の住んでいた家は霊廟となり、これも世界遺産。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。