登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1988年 |
スリランカ南部にあるゴールは、中国と中東を結ぶ「海のシルクロード」の中継地点として繁栄した都市。16世紀からポルトガル、オランダ、イギリスなど支配者は変わっていったため、ヨーロッパの建築様式と南アジアの伝統建築が融合した要塞都市の名残が今でも見られます。
ここではゴールの旧市街と要塞がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゴールについて詳しくなること間違いなし!
ゴールの旧市街と要塞とは?
ゴールは南部州の州都。ここはスリランカ南部の最大の都市で、古くから海のシルクロードの中継地として多くの人々が立ち寄る都市でした。16世紀末にポルトガル人の植民地となると、17世紀に稜堡と砲台が設置され、これがゴール要塞の原型となり、その後、オランダが支配するようになると、現在の旧市街と周辺の城壁を建造。18世紀になるとイギリスに継承され、街は大いに繁栄するものの、その後は現在の首都コロンボが重視されるようになったため、旧市街の保存状態は今でも良好です。
世界遺産として登録されているのは、半島に築かれた旧市街と要塞。ここオランダの統治時代に設計された格子状の町並みになっていて、現在はオランダ時代の「オランダ改革派教会」とイギリス時代の英国国教会に所属する「諸聖人教会」、キリスト教会の聖堂を転用した「メーラ・モスク」など、キリスト教とイスラム教、仏教に関連する建造物が点在。城壁には3つの稜堡が現在も残っていて、それぞれスター、サン、ムーンと呼ばれています。
ゴールの旧市街と要塞はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ゴールが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ゴールの旧市街と要塞は、16世紀にポルトガルによる拠点として建造され、18世紀に繁栄したため、ヨーロッパの建築様式と南アジアの伝統建築の融合を示し、これは南アジアによるヨーロッパ人による要塞都市でも最も優れたものであったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ゴールは、南アジアのヨーロッパ人による要塞建築の中でも傑作であり、ヨーロッパの建築様式と南アジアの伝統建築が組み合わさった建造物が並ぶという点で評価されています。
ちなみに、2004年のスマトラ島沖地震では津波の被害を受け、数千人が亡くなったものの、旧市街は石造りであったために危機遺産に至らない程度の被害で終わった上に、住民まで守ったというのもスゴイですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。