ドイツの世界遺産「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」とは?サンスーシ宮殿を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(4)
登録年1990年

ドイツの首都ベルリンとその郊外のポツダムには、1730年から1916年にかけて150もの宮殿が築かれました。その中でもフリードリヒ2世によって築かれたサンスーシ宮殿は、ドイツ・ロココ様式の傑作です。宮殿に併設された美しい庭園も見事。

ここでは、ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群について詳しくなること間違いなし!

目次

ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群とは?その場所は?

孔雀島
画像素材:shutterstock

ドイツの首都ベルリンの南西部にある宮殿群、そして、郊外の都市・ポツダムの北東にある宮殿群が合わせて世界遺産として登録されています。ここには、1730年から1916年にかけて150もの宮殿と庭園が築かれ、これらは自然を取り入れながら築かれたもの。

ベルリンから南西に約26km離れたポツダムは、日本人だと「ポツダム宣言」が行われた場所としてのイメージはありますが、18〜19世紀は王侯貴族の宮殿、20世紀になると映画関係者の別荘などが点在していた高級住宅エリア。郊外には多くの宮殿が点在していますが、最も有名なのが18世紀にプロイセン王・フリードリ匕2世によって建造されたサンスーシ宮殿。

他にもポツダムには、20世紀に建造された英国風のツェツィーリエンホーフ宮殿やネオ・ゴシック様式と新古典主義様式の両方が見られるバーベルスベルク宮殿などがあり、ベルリン南西に位置する孔雀島には、ローマ遺跡風の木造宮殿も残ります。

登録されている主な構成資産

サンスーシ宮殿

サンスーシ宮殿
画像素材:shutterstock

18世紀後半にポツダムの北東部に建造されたロココ様式の宮殿。かつてドイツ北部を支配していたプロイセンの王・フリードリヒ2世によって建造され、設計は友人の建築家クノーベルスドルフが担当。彼は豪華な建築物を提案しましたが、フリードリヒ2世はこぢんまりとしたものを望んだため、王自ら設計に関わり、最終的には全長100mと宮殿としては小さなサイズとなっています。

外観はシンプルなデザインではありますが、内部はロココ様式らしく天井まで豪華な装飾が施されています。特に音楽公演室と呼ばれる部屋は、金色の植物文様が施され、「フリードリヒ式ロココ」の代表的なもの。

サンスーシ庭園

サンスーシ庭園
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宮殿の敷地内にはいくつもの庭園が広がっていますが、一番有名なのが宮殿の南部に広がるルスト庭園。宮殿そのものが丘の上に位置しているので、6段のテラスが築かれ、各テラスの上はガラス張りの温室になっています。ここにはドイツ北部では栽培できないブドウなどが植えられているのが特徴。

ツェツィーリエンホーフ宮殿

ツェツィーリエンホーフ宮殿
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サンスーシ宮殿の北東に位置する宮殿で、ここは1917年に最後のドイツ帝国の皇太子であるヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために建造されたもの。建物はイギリスのテューダー朝時代の邸宅のような構造で、外観もどこか英国風。

1945年にここでポツダム会談が行われたということはあまりに有名。現在は宮殿の一部はホテルとしても利用されています。

ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

サンスーシ宮殿
画像素材:shutterstock

ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ポツダムとベルリンの宮殿と公園は、自然と調和するように建造され、ユニークで芸術的な宮殿建築であるということ。

登録基準(ii)
サンスーシ宮殿は「プロイセンのヴェルサイユ」と呼ばれるほどに、イタリアやイギリス、フランスなどの建築様式から影響を受けているということ。

登録基準(iv)
サンスーシ庭園は、ヨーロッパの啓蒙専制君主であったフリードリヒ2世によって建造されたもので、造園技術として優れた傑作であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

登録されているエリアには150もの宮殿と庭園がありますが、その中でもサンスーシ宮殿や庭園はヨーロッパ各地の宮殿建築を取り入れながらも独自の様式となっていて、庭園では優れた造園技術が見られるという点で評価されています。

サンスーシ宮殿を築いたフリードリヒ2世は、多彩な趣味を持つ君主でした。フランスの哲学者のヴォルテールとも交際しており、彼が亡命すると、わざわざ専用の部屋まで作って招いたほど。しかし、やがて衝突を繰り返すようになると、ヴォルテールはスイスへと移住してしまいました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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