登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2007年 |
トルクメニスタン南西部に位置するニサは、現在のイランを中心に繁栄したパルティア(前247年頃〜224年)の重要都市だった場所で、現在は遺跡となっています。ここは東西南北から交易ルートが交差点であり、ヴィーナスの像や象牙のリュトン(杯)が見つかった王宮などが集まる旧ニサと、市民の居住区であった新ニサという2つの遺跡が残り、中央アジアと地中海の文化が融合した建造物が並んでいました。
ここではニサのパルティア時代の城塞群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ニサについて詳しくなること間違いなし!
ニサのパルティア時代の城塞群とは?
山脈と砂漠の間に位置するアシガバート市は人口86万もの大都市。その郊外にはパルティア王国最初期の都市遺跡が2つ残っています。これらは丘陵地に城壁で囲んで築かれた都市で、南側の「旧ニサ」は王の建造物、北側の「新ニサ」は市民の居住地で、それぞれは約1.5kmも離れていました。特に旧ニサは王の宝物庫があったとされ、ここからはヴィーナス像や象牙のリュトンなどが発見。これらはパルティア時代の貴重な資料となっています。
ここは紀元前3世紀から3世紀まで繁栄した土地で、当時のパルティアの都市と同じく、伝統的な土着の文化にギリシャやローマの要素を組み合わせた建造物が並ぶのが特徴です。装飾が加えられた建造物もあり、ニサは東西南北から交易路が集まることから商業が発達したということが分かるもの。
ニサのパルティア時代の城塞群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ニサが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ニサは、重要な通商拠点であり、遺跡からは中央アジアや地中海世界からの文化の影響が見られるものであるという点。
登録基準(iii)
パルティアは古代のオリエントで影響力がある文明の一つで、この国家があったためにローマ帝国が東へと拡大できないというほどのライバル国家であり、ニサはこの王国の権力を示す都市でシンボルであったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ニサは、ローマ帝国のライバル国家だけあって絶大な権力を持つ国家の都市であり、その規模と文化が優れていて、ギリシャやローマなどの地中海世界の影響を受けた建造物が並んでいるという点で評価されています。
ちなみに、パルティアは中国語で「安息」と呼ばれますが、これは別に国が穏やかということではなく、初代王のアルサケス1世がパルティア語で「アルシャク」と呼ばれたのでそれが訛っただけと考えられています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。