登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4),(5) |
登録年 | 1994年 |
アナトリア半島の黒海沿岸から少し入った場所にあるサフランボルはオスマン帝国時代の宿場町。ここは13世紀〜20世紀初頭に栄えた交易の経由地であり、17世紀になると山の斜面に沿って2階建ての伝統的な邸宅が多く建造され、赤い屋根の美しい景観を今でも残しています。
ここでは、サフランボル市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サフランボルについて詳しくなること間違いなし!
サフランボル市街とは?
サフランボルは、アナトリア半島でも黒海沿岸に位置するカラビュック県の小さな街。もともとはサフランの交易地であったことから「サフランボル」と名付けられました。ここはオスマン帝国時代は宿場町として栄え、伝統的な家屋が今でも多く残っています。
街の起源は11世紀に遡り、13世紀には交易ルートの中継地として発展。しかし、20世紀に鉄道がこの地域にも敷かれるようになると、サフランボルは衰退していきます。
サフランボルには17世紀に建造された伝統的家屋が多く点在し、これらは2階部分が道路に突き出るという独特の建築様式となっています。1階はリビングルーム兼キッチンになっていて、2階が寝室になっているというのが一般的。ここはかつてのオスマン帝国の街並みを今でもよく残しています。
登録されている主な構成資産
世界遺産に登録されているのは、旧市街であるチュクル、新市街であるクランキョイ、丘の上にある住宅地バーラルの3つ。
チュクル
旧市街にあたり、一般的に「サフランボル」というとこのエリアのことを指します。現地では「チャルシュ」と呼ばれる地区で、2つの川に囲まれ、中心部には市場があり、職人街や工房が並ぶというアナトリアの古き良き旧市街が残っています。
クランキョイ
現在の新市街(シェヒル)に当たる場所で、サフランボルの交通の起点でもあります。もともとはイスラム教徒以外の住民が住むエリアでした。チュクルの建築物は木造が多いのですが、こちらは石造りが多いというのが特徴。
バーラル
バーラルは「ブドウ園」という意味で、街の北西に位置する郊外エリア。丘の上に築かれた伝統家屋が並び、風を通す構造であったため、かつては避暑地として利用されていました。
サフランボル市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サフランボルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サフランボルは、キャラバン交易の中継地として大いに繁栄し、ここで発展した都市開発はオスマン帝国全体の建築様式に影響を与えたということ。
登録基準(iv)
かつてはオスマン帝国時代の宿場町としてアジアとヨーロッパを結ぶ交易で盛んだったものの、鉄道の発達によってその機能は失われてしまいました。しかし、製鉄所が近くにあり、人々はこの街にそのまま住みながら通うという生活をしていたため、今でも保存状態の良い建築物が残ったという点。
登録基準(v)
山に囲まれたサフランボルはオスマン帝国時代の典型的な都市であり、その地形を利用して集落を築き上げたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
かつて宿場町として大いに繁栄したサフランボルは、山深くにあるために傾斜地を利用し、当時築かれた多くの伝統的な建築物はオスマン帝国内の建築様式に影響を与えているという点で評価。鉄道が発達した後でも、人々は伝統的な家屋に暮らし続けたために、今でも昔ながらのサフランボルの景観が残るというのもポイント。
ちなみに、サフランボルは1994年に世界遺産に登録されたものですが、かつてのオスマン帝国の領土で似たような町並みを残すのは、トルコでいえばジュマルクズック、アルヴァニアのベラトとジロカストラ、ブルガリアのネセバルなどがあります。
そして、世界遺産には登録されていないものの、近年はトルコでも「サフランボル」っぽい景観を復元する運動も各地で起きていて、古き良き町並みの代表であるサフランボルの地位が少し揺らいでいる感もあります…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。