登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4),(6) |
登録年 | 1982年 |
サルヴァドール・デ・バイーアは、ブラジル北東部にある港湾都市。1549〜1763年の間は、ポルトガル領ブラジルの首都になり、アメリカ大陸で初めて奴隷市場が設けられた場所。サトウキビ産業で栄えたこの町は、カラフルなルネサンス様式の建築物が多く作られ、現在でも当時の姿を残しています。
ここでは、サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サルヴァドール・デ・バイーアについて詳しくなること間違いなし!
サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区とは?
ブラジル北東部にある湾口都市。16世紀初頭の諸聖人の日に発見されたことからこの地は「諸聖人の湾」と名付けられ、1549年に植民都市とする時に「サルヴァドール(救世主)」という名になりました。そして、ポルトガル領ブラジルの首都になり、1763年にリオデジャネイロに移転するまで200年以上も首都であり続けました。
もともとは、交易を目的として建設された都市で、ブラジルの主要な港であり、砂糖産業と奴隷貿易の中心地でもありました。旧市街はルネッサンスの都市構造を残しており、高さ85mの丘の上には住宅街や官庁などが建てられました。サルバドール大聖堂やサン・フランシスコ教会など、主要な建設物は16〜18世紀にかけて建造されたもの。植民地時代のシンボルであったカラフルな家々が並ぶ通りが多くあるのも、当時の名残です。
サルヴァドールは、アメリカ大陸で最初の奴隷市場であり、砂糖農園の労働力として多くの奴隷がアフリカから運ばれてきました。よって、16〜18世紀の間にヨーロッパ、アフリカ、アメリカのさまざまな文化が融合するようになり、今でも音楽や食文化などに残っています。サンバが生まれたのもこの町で、これもアフリカ系の住民の踊りがルーツとされるもの。
登録されている主な構成資産
サルヴァドール大聖堂
16世紀に建造された教会がもとになった大聖堂。オランダによって破壊され、17世紀に再建が始まり、18世紀まで建設が続けられました。ルネサンス様式で再現されたもので、イエズス会に所属。日本でも布教活動を行ったフランシスコ・ザビエルの像もファサードに残っています。
サン・フランシスコ教会と修道院
1587年に建築が開始されたものの、オランダによって破壊され、18世紀まで建設が続きました。アズレージョ(上薬をかけて焼かれたタイル)を5万5000枚使用した壮大な教会として有名。
サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サルバドール・デ・バイーアが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
港がある下町と官庁のある丘といった構造は、南米でもルネサンス様式の都市構造を持つ、代表的な都市であったということ。
登録基準(vi)
サルバドール・デ・バイーアは、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカのさまざまな文化が融合し、音楽や料理、生活文化まで現在のブラジルへと繋がる都市であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ルネサンス様式の建築物が多く残る旧市街は、他の植民都市に比べて優れた構造であったという点で評価されています。そして、サンバはこの町で生まれ、アフリカ文化の入った料理も見られるなど、ブラジルという国の多様性のルーツでもあるということですね。
ちなみに、ブラジルを代表する格闘技カポエイラもこの町がルーツで、奴隷たちが練習していた格闘技やダンスなどから生まれたとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。