登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 1990年 |
ドミニカ共和国の首都サントドミンゴは、1498年にクリストファー・コロンブスが島に到着した後、スペイン人によって築かれたアメリカ大陸初の拠点地。街には、大聖堂や病院、大学などがあり、南北アメリカ大陸に点在するほとんどの植民都市のモデルとなりました。
ここでは、サントドミンゴの植民都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サントドミンゴの植民都市について詳しくなること間違いなし!
サントドミンゴの植民都市とは?
西インド諸島は、1492年にクリストファー・コロンブスがたどり着いた場所で、1498年に現在のイスパニョーラ島の南海岸に植民都市を建設されました。オサマ川の河口に位置しており、もともとはスペイン人により1496年に川の東側に街が建設され始めたのですが、1502年に川の西側に街の機能が移行。この町の建設により、南北アメリカの植民が進められていくのです。
ここは南北アメリカ初の植民都市で、スペインの拠点として活躍しました。16世紀初めに建設されたサン・ニコラス・デ・バリ病院は南北アメリカ大陸初の病院。コロンブスが埋葬されたサンタ・マリア・ラ・メノール大聖堂は、1541年に築かれたものでゴシック様式とルネサンス様式を組み合わせた建築物でした。
要塞都市のモデルとなるほどによく計画された都市で、1502年にもさかのぼる最古の街路もあることで知られます。街が設立された建物など、現在も綺麗に残っているのが特徴。
登録されている主な構成遺産
コロンブス宮殿
コロンブスの長男のディエゴ・コロンが1509年に建設を始めた邸宅。工事は1514年まで行われ、かつては50以上の部屋と壮麗な庭園を持つムデハル様式の建築物でした。その後、コロンブスの子孫たちが住むことになります。現在はタペストリーのコレクションで有名な美術館となっています。
サンタ・マリア・ラ・メノール大聖堂
1541年に建造された南北アメリカ大陸初のカトリック教会の大聖堂。ゴシック様式とルネサンス様式を組み合わせたもの。コロンブスはスペインで死亡し、セビリアの修道院に納められていましたが、1542年にサントドミンゴの大聖堂に移されました。1992年にはコロンブス記念灯台に棺は移されたものの、長らくコロンブスが埋葬されているとして有名だった場所。
サン・ニコラス・デ・バリ病院
1522年に開業した南北アメリカ大陸初の病院。18世紀中頃には病院は閉鎖され、現在は使用されていませんが、かつてはルネサンス様式の壮麗な建築物でした。
サントドミンゴの植民都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サントドミンゴの植民都市が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サントドミンゴは、カリブ海とアメリカ大陸の植民都市のモデルとして強い影響を与えたということ。
登録基準(iv)
サントドミンゴの最初の都市構造は現在でも残っており、16世紀の建築物はゴシック様式からルネサンス様式への移行が見られるということ。
登録基準(vi)
サントドミンゴは、キリスト教の伝導の拠点でもあり、インディアス法(先住民の行動を規定する法律)が宣言された場所でもあったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
コロンブスが南北アメリカ大陸にたどり着いたことによって、ここに初の植民都市が築かれ、それが他の植民都市のモデルとなったという点で評価されています。そして、ヨーロッパから離れた地にあるにもかかわらず、建物もゴシック様式からルネサンス様式への移行期が見られるというのもポイント。そして、アメリカ大陸初の大聖堂が作られたことで、ここが新大陸のキリスト教の伝導の拠点ともなりました。
ちなみに、コロンブスはヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸を発見したことで知られていますが、すでに10世紀にはバイキングによってヨーロッパから北米への航路が発見されている上に、先住民を多く虐殺したのも彼の指導の下なので、現代だと割と評価の低い人物でもあります。しかし、西インド諸島の航路の発見により、地球が丸いということが分かっただけでもスゴイとは思いますが…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。