登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (4) |
登録年 | 2011年 |
トルコのヨーロッパ側に位置する都市エディルネは、オスマン帝国の初期の首都であった場所。ここはスルタンであったセリム2世(1524〜1574年)の命により設計された、オスマン帝国の大建築家ミマール・スィナンの最高傑作であるセリミエ・モスク(ジャーミィ)があります。4つの細いミナレットに大きなドームの壮麗なモスクで、周囲には図書館や学校、市場、中庭などが含まれたキュリエ(公共施設群)が併設。
ここではセリミエ・モスクとその社会的複合施設群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、セリミエ・モスクについて詳しくなること間違いなし!
セリミエ・モスクとその社会的複合施設群とは?
エディルネはトルコのヨーロッパ側にあるトラキア地方の中心都市で、ブルガリア国境まで10kmの位置にあります。ここは先史時代から人が住んでいて、ローマ時代以降はハドリアノポリス(英語名:アドリアノープル)と呼ばれ、オスマン帝国が14世紀にこの地を征服するとここで宮殿を築き、首都としました。その後、1452年にイスタンブールに遷都するものの、宮殿は残され、ここは副都としてスルタンがしばしば滞在しました。
特にセリム2世はこの地を愛し、彼は16世紀のオスマン建築家の中で最も高名なミマール・スィナン(1489〜1588年)にモスクの建設を依頼しました。ここは巨大なドームと4つの尖塔を持ち、モスク内には「イズニック・タイル」を利用。卓越した美しさを誇り、ドームの大きさはイスタンブールのアヤソフィアを超えることから彼の最高傑作でもあります。そして、モスクの周辺には、マドラサ(神学校)、屋根付きの市場、時計塔、中庭、図書館などが含まれたキュリエが併設され、モスクとの調和もオスマン帝国のキュリエの中で最も優れたものとして評価。
セリミエ・モスクとその社会的複合施設群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
セリミエ・モスクが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
エディルネのセリミエ・モスクと複合施設群は、16世紀のオスマン帝国の建築家の中でも最も偉大なミマール・スィナンによって設計。8本の柱で支えられたドームは直径31.5mとなるほどに広大で、四隅にそれぞれミナレットが配され、エディルネのシンボル的存在です。これらは革新的な構造で、多数の窓が並ぶという照明効果もあり、その周囲の施設も彼の重要な建築作品であるという点。
登録基準(iv)
セリミエ・モスクと複合施設群は、天井や空間設計、建築技術、景観などを含めて人類史において重要な段階を示すもので、イズニックタイルによる施設内装飾が優れていて、オスマン帝国の独自の建築様式であるモスクとキュリエの調和も美しいということ。
世界遺産マニアの結論と感想
セリミエ・モスクはトルコに残る多くのモスクの中でも、オスマン帝国の大建築家であるミマール・スィナンの最高傑作ということもあり、ドームの構造や尖塔、イズニック・タイルによる室内装飾など、設計や技術に優れ、周囲のキュリエと一帯となっていて美しいという点で評価されています。
ちなみに、エディルネはトルコの国技とされるオイルレスリング(ヤールギュレシ)の全国大会が開催される場所。大会は3日間で200リットルを超えるオイルが使用されるので、世界でもこれだけオイルが使われる場所もないでしょうね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。