登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3) |
登録年 | 2023年 |
タイ北部に位置するシーテープ遺跡は、スコータイ王朝が誕生する13世紀以前に、東南アジア各地と交易で大いに栄えた都市がこの地で存在していたことを示すもの。ここは仏教やヒンドゥー教を融合した独自の芸術様式が発展していきました。
ここでは古代都市シーテープが、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シーテープについて詳しくなること間違いなし!
古代都市シーテープとは?
タイの北部にあるペッチャブーン県の遺跡。ここは3〜5世紀から13世紀頃まで都市として繁栄した場所で、チャオプラヤー川沿い栄えたドヴァーラヴァティー王国(6〜11世紀ころ)時代の文化が見られる場所でもあります。現在は「シーテープ歴史公園」として登録されていて、西側にある円形の堀に囲まれた都市、東側にある四角形の2つのエリアから構成されるもの。
おもに4つの段階で発展したと考えれていて、初期はインドから伝来したヒンドゥー教の影響を受けた埋葬の伝統があり、ドヴァーラヴァティー王国時代になると、ここは交易で大いに繁栄し、6〜7世紀から残るカオ・クラン・ナイと呼ばれる仏教寺院遺跡からもここは中心地であったと考えられています。
やがてドヴァーラヴァティー王国からは上座部仏教、南東部に位置したクメール王朝(802〜1431年)からヒンドゥー教、北東の中国からは大乗仏教が伝えられ、独自の芸術様式が発展していきました。しかし、13世紀ころになると、当時の支配者だったクメール王朝が崩壊すると同時に衰退。周囲のラヴォ王国(450〜1388年)が勃興し、都市としての重要性を失いました。
遺跡の西側に残るプラーン・シーテープ(シーテープ塔堂)やプラーン・ソーン・ピーノーン(兄弟の塔堂)などはクメール王朝時代のヒンドゥー教建築の影響を受けていて、これらはやがてスコータイやロッブリーの仏教建築へと影響を与えたもの。
古代都市シーテープはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シーテープが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
シーテープは、東南アジアの古代の交易ネットワークでは非常に重要な場所で、先史時代、ドヴァーラヴァティー王国、クメール王朝時代には、物品だけでなく、文化や宗教までも結びつけていていたという点。
登録基準(iii)
シーテープは芸術都市でもあり、ほとんどの芸術品が仏教とヒンドゥー教に関連していて、さまざまな文化や芸術様式を融合したシーテープ独自の芸術様式を生み出し、ドヴァーラヴァティー王国とクメール王朝の彫刻や建築にも影響を与えていたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
シーテープは交易都市であったために、遺構からは仏教やヒンドゥー教などの文化が融合し、独自の芸術様式が確立され、それが大国だったドヴァーラヴァティー王国とクメール王朝にも影響を与えた文化都市でもあったことが分かるという点で評価されています。
ちなみに、ドヴァーラヴァティー王国を築いたのはモン族とされていて、現在のタイ王国に住むタイ族とはまた違った言語や伝統を持つ民族。といっても、モン族は現代のタイだけでも12万人程度しか暮らしていない少数民族でもあります。彼らの伝承では日本人と中国人ともにルーツが同じとのことで、納豆や甘酒、羽つきなど日本の文化とどこか似たところがあったり…真相は不明ではありますが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。