登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 1982年 |
スリランカ中央部にあるシーギリヤは、高さ約180mの「シーギリヤロック」と呼ばれる花崗岩の上に築かれた要塞を中心とした都市遺跡。シンハラ王国のカッサパ1世によって建造された王宮は、世界でも稀に見る天空都市です。
ここでは、古都シーギリヤがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シーギリヤについて詳しくなること間違いなし!
古都シーギリヤとは?シーギリアロックは要塞だった?
要塞に築かれた古代都市は現在は遺跡となっている
シーギリヤはスリランカの中部州のマータレーから北へ約65kmの位置にあります。森に突如として現れる高さ約180mの花崗岩の上に、5世紀末にシンハラ王国のカッサパ1世によって建造された天空都市。
シンハラ王国は、アヌラーダプラ王国とも呼ばれ、紀元前4世紀〜11世紀まで存在した王国。紀元前3世紀にインドから仏教を取り入れ、仏教は文化や法律まで影響を与えました。5世紀末にカッサパ1世はクーデターを起こし、父王から王権を奪うと弟であるモッガラーナを恐れたため、首都であったアヌラーダプラを離れ、シーギリヤに遷都。そして、父王の供養のために未完であったシーギリヤの城塞を完成させました。
しかし、最終的にモッガラーナに破れ、彼は自害。シーギリヤ・ロックは14世紀ころまで寺院として利用されるものの、その後は廃墟となりました。
シーギリヤとは「獅子の山」を意味しており、北側にある「獅子の門」は獅子の足先だけ残っています。岩山のすぐそばには「水の庭園」が築かれ、ここには用水路や噴水などがあり、アジア最古の庭園の一つ。
シーギリヤ・レディ
岩山の西側に描かれたスリランカ美術を代表する作品。華やかな衣装を着た天女を野菜や花、木などを使った染料を使って描いたフレスコ画で、王宮に住んでいた女性たちをモデルにしたとされています。かつては岩山の崖に500人も描かれていたとされていますが、ほとんどが風化。現在残っているのは19人のみ。
古都シーギリヤはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シーギリヤが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
シーギリヤはインド発祥の仏教遺跡であり、これはインドとの文化の交流を示しているという点。
登録基準(iii)
かつて一時的に王宮として使用されたシーギリヤは、シンハラ王国の存在を現代に示しているということ。
登録基準(iv)
岩山の上に築かれた要塞兼王宮や、麓の水の庭園はアジア最古の庭園の一つとされ、スリランカの建築技術の発展が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
シーギリヤは、シンハラ王国の足跡を残す仏教遺跡でもあり、岩山の上に要塞と王宮を作り出し、アジアでも最古の庭園まで併設したりと、高い建築技術が見られるという点が評価。
ちなみに、シーギリヤ・ロックは、「獅子の山」というだけあって、かつては獅子の顔が岩山に描かれていたそう。今は前足だけしか残っていないので、どちらかというと「亀」に見えますが…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。