登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2002年 |
ドイツ北東部のバルト海岸沿いにある、ヴィスマールとシュトラールズントはかつてハンザ同盟の交易都市であり、後にスウェーデンに支配され、ドイツにおける行政と軍事における拠点となりました。特に、シュトラールズントはレンガ造りのゴシック建築が発展し、数世紀に渡る建築様式の変化が見られるのが特徴です。
ここではシュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シュトラールズントとヴィスマールについて詳しくなること間違いなし!
シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区とは?
バルト海岸沿いに位置する港町ヴィスマールとシュトラールズントは13世紀に設立された街。これらは14〜15世紀にかけてハンザ同盟の主要都市として活躍。17〜18世紀には、三十年戦争後、スウェーデンの領地となり、ここはドイツにおける行政と軍事拠点として発展しました。街にはレンガ造りの建造物が多いことが特徴。
ヴィスマール
13世紀に建造された都市で、17世紀〜20世紀初頭までスウェーデン領でした。市庁舎に面したマルクト広場は「北ドイツの最も美しい広場」として有名で、14世紀に建造されたアルター・シュヴェーデ(年寄りのスウェーデン人)という建造物が残っています。
ニコライ教会は、レンガ建築の聖堂としては世界で2番目の高さを持つもの。他にもレンガ造りの邸宅や聖堂が並び、かつてのハンザ同盟都市の景観を残しています。
シュトラールズント
ヴィスマールから北東へ約125kmの位置にある港町で、その町並みは「ハンザの宝石」と称されるほど。市庁舎はレンガ造りのゴシック建築の技術の発展を示し、1階にはかつて問屋街がありましたが、現在は通路のみが残ります。周辺には、レンガ造りの聖堂や邸宅、商業施設、工房など、数世紀に渡る建築様式の発展が見られるのが特徴。
シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シュトラールズントとヴィスマールが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ヴィスマールとシュトラールズントは、かつてのハンザ同盟の中心地で、スウェーデンのドイツにおける行政と軍事の中心地ともなったこともあり、バルト海のハンザ同盟都市やスウェーデンの防衛システム開発を含めて、これらの都市はレンガの開発と普及に貢献したということ。
登録基準(iv)
ヴィスマールとシュトラールズントは、教会や市庁舎、商業会館など、ハンザ同盟の交易都市のモデルともなり、建築技術や都市の発展に大いに貢献したという点。
世界遺産マニアの結論と感想
かつてのハンザ同盟都市であったヴィスマールとシュトラールズントは、スウェーデンを代表とするバルト海の都市との交流や支配があった場所だったため、レンガの開発と発展などが見られ、建築技術を含めた都市の繁栄が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ヴィスマールとシュトラールズンの間にあるロストックという都市は、世界遺産には登録されていないものの、かつてはハンザ同盟の中心都市だった場所。当時の旧市街や市庁舎なども見られ、他のハンザ同盟都市と同様に世界遺産に登録されてもおかしくないのですが…第二次世界大戦で街が破壊されたため、再建された街は、ワルシャワ以外は世界遺産に認められないというルールもあるため候補にならず、残念な展開に。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。