登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (4), (6) |
申請年(暫定リストに記載) | 1996年 |
ネパール西部、インド国境近くに位置するティラウラコットでは、20世紀に宮殿跡が発見され、ここは釈迦(仏陀、ガウタマ・シッダールタ)の一族が暮らした土地とされるカピラ城(カピラヴァストゥ)であったとネパール政府が主張するもの。
ここではティラウラコット・カピラヴァストゥ:古代シャーキヤ王国の考古遺跡群がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ティラウラコット・カピラヴァストゥについて詳しくなること間違なし!
ティラウラコット・カピラヴァストゥ:古代シャーキヤ王国の考古遺跡群とは?
ネパール西部のルンビニ県にあるティラウラコットは、人口5000人程度の小さな街ですが、ここは世界三大宗教の一つ、仏教の開祖である釈迦が若い頃に過ごしたカピラ城があったとされています。釈迦の正確な生没年はわかっていませんが、紀元前6世紀〜紀元前4世紀にかけてこの地は、彼の出身部族である釈迦族(シャーキヤ)が定住していたとされている場所。
もともとは釈迦族の先祖が仙人が暮らしていた地へと移り住んだ場所とされ、王族であった釈迦は29歳までこの地で過ごしたとされています。しかし、釈迦が晩年の頃に隣のコーサラ国の王・毘瑠璃王(ヴィルーダカ)によって滅ぼされてしまったというのが通説。その後、1000年ほどは巡礼の地であり、玄奘三蔵が7世紀に訪れたとされるほど。その後、14世紀には正確な場所が分からなくなってしまったのですが、19世紀後半に宮殿や門の一部が発掘されたことから、ネパール政府はここをカピラ城と主張しています。
世界遺産マニアの結論と感想
諸説あるものの、ティラウラコットからは古代に存在した宮殿跡が発見され、釈迦の時代に近いことから、若き釈迦が過ごした地として、世界遺産に申請されています。
しかし、後の調査でここは釈迦の時代よりも後の時代のものという説も出てきたり、国境を越えてインドのピプラーワーの仏教遺跡では、釈迦の遺骨と記された遺骨が発見され、そこに「カピラヴァストゥ」と記されたものが出土していることから、なかなか決着がつかないところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。