登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1997年 |
トルンは、ポーランド中部にある工業都市。13世紀半ばにドイツ騎士団がこの地に城を建てたことが町の起源となっています。トルンはハンザ同盟都市として交易で栄え、14〜15世紀に造られた建造物が現在でも残存。そして、トルンは地動説を唱えたコペルニクスの故郷でもあります。
ここでは、今回は中世都市トルンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トルンについて詳しくなること間違いなし!
中世都市トルンとは?
ポーランド中央部にあるトルンはヴィスワ川沿いにある交易で盛んな町でした。ドイツ騎士団の東方植民としてキリスト教が持ち込まれた後、ハンザ同盟に加わり、バルト海や東欧の国々と交易を行い、町は発展していきました。
トルンの構成資産は、旧市街と新市街で構成されています。町は城壁に囲まれており、こ13世紀に建てられた城がありましたが、15世紀の反乱で破壊され、現在は遺構となっています。旧市街は教会や大聖堂などがある中世当時の雰囲気が残るエリアで、新市街は工業などを中心に開発されたエリア。
登録されている構成資産
旧市庁舎
14世紀に建てられたもので、17世紀に現在の姿になりました。市議会や裁判所としての機能はもちろん、王の宿舎でもあった場所。18世紀に修復工事が行われた際に、内部装飾は大幅に追加され、豪華絢爛な建築物に。塔からは町が一望できます。
コペルニクスの生家
旧市街には、ゴシック様式のファサードなどを持つ家が多く残りますが、その中でも有名なのは1473年に天文学者として有名なコペルニクスが生まれたと伝えられている家。現在は博物館として保存されています。各家には貯蔵庫が設けられ、コペルニクスの生家も同様でした。
中世都市トルンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トルンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
中世の貿易で栄えたトルンは、周辺の国々に影響を与えた建築物が多く存在していたという点。
登録基準(iv)
トルンは、中世の生活様式を完璧に残しており、当時の都市開発が見られる貴重な例になっているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
トルンは運良く、最も繁栄した時期の景観が現在に残っていて、中世の街の構造がよく分かるという点が評価されています、そして、機能的なのに豪華な邸宅など、トルンの建築物は周囲の国々に影響を与えました。
しかし、トルンの最大の功績は、コペルニクスという天才的な天文学者を生み出したということではないでしょうか?人が集まるところに文化は生まれ、やがて優秀な人材を生み出すという良い例ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。