登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
ドイツ北西部にある大都市ブレーメン。旧市街の広場に面した石造りの市庁舎(ラートハウス)は15世紀にゴシック様式で建造され、その後、ルネサンス様式で改築。市庁舎前のローラント像は、カール大帝に仕えたという伝説的な騎士ローラントをモチーフにしたもので、これは自由都市であったブレーメン市民の自由と権利を表したものでした。
ここではブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マルクト広場の市庁舎とローラント像について詳しくなること間違いなし!
ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像とは?どこにある?
ドイツ北西部にあるブレーメン州の州都ブレーメン。中世ではハンザ同盟にも加盟していた商業都市で、12世紀に神聖ローマ帝国内でも自治を認められた自由都市でもありました。中心部にある市庁舎とローラント像は、ブレーメンの繁栄を示す建築物として世界遺産に登録。
市庁舎(ラートハウス)
マルクト広場の北東に位置する旧市庁舎は、15世紀にゴシック様式で建設されたものの、17世紀にルネサンス様式のファサードが加えられました。2階建ての構造で、上階と下階に会議場があり、地下には17世紀に建造されたドイツ最古のワインセラーがあり、今でも多くのワインが置かれています。そして、2階にある窓の装飾は、カール大帝や神聖ローマ帝国の選帝侯たちの彫像が並ぶというもの。
旧市庁舎の隣には、20世紀初頭に新市庁舎も建造。2つとも第2次世界対戦時の爆撃を生き残り、市街はほとんど破壊されてしまったブレーメンの中でも中世の雰囲気を残す貴重なもの。
ローラント像
マルクト広場に立つ高さ5.47mの立像は、中世を代表する叙事詩『ローランの歌』に登場する英雄ローラントを表したもの。これも15世紀に建造され、かつては木造であったものの、現在は石造で再建されています。ローラントは、伝説的な人物であり、彼はカール大帝の部下であったとされ、特に中世のドイツにおいて各都市が自由都市になると、ローラント像が多く建造されました。ローラント像は市民の自由と権利を表したシンボル的存在でもあったのです。
ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
マルクト広場の市庁舎とローラント像が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ブレーメンの市庁舎とローラント像は、神聖ローマ帝国の自治都市における自由と権利を示すものであったということ。
登録基準(iv)
ブレーメンの市庁舎は、ルネサンス様式を代表するもので、ブレーメンのローラント像は、自由と権利のシンボルとして中世を代表するローラント像の一つであるという点。
登録基準(vi)
ブレーメンの市庁舎とローラント像は、神聖ローマ帝国における市民の自由と権利と関係しているもので、特にローラント像は中世やルネサンスの叙事詩に登場する伝説的な聖騎士ローラントを示すものでもあるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
旧市街に残る市庁舎とローラント像は、中世にハンザ同盟として繁栄したブレーメンを象徴し、特にローラント像は自由都市に多く築かれたもので、ブレーメンの像は代表的なローラント像であるという点で評価されています。特にローラントは中世で広く人気のあった叙事詩と関連するという点もポイント。
ちなみに、ブレーメンというと日本人であれば、グリム童話の『ブレーメンの音楽隊』を思い浮かぶと思いますが、市庁舎の横にも音楽隊のメンバーであるロバ、イヌ、ネコ、ニワトリの像が置かれています。しかし、物語ではブレーメンに行ずに物語が終わっているのに、ブレーメンに像があるのはなぜか…と、ツッコんではいけないですかね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。