登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 2000年 |
ベルギーの首都ブリュッセルには、アール・ヌーヴォー初の建築作品であるタッセル邸を始め、4つの邸宅が世界遺産に登録されています。これらは19世紀末から20世紀初期に活躍した建築家ヴィクトル・オルタが設計したもので、光をうまく取り入れ、曲線を多用したデザインは建築に革新をもたらしました。
ここでは建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群 (ブリュッセル)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴィクトル・オルタの都市邸宅群について詳しくなること間違いなし!
建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群(ブリュッセル)とは?
ヴィクトル・オルタは、アール・ヌーヴォー建築家の一人で、ブリュッセルのアール・ヌーヴォー建築家の中心人物でもありました。彼はアール・ヌーヴォーの装飾美術に感銘を受けると、建築デザインに光を取り込み、曲線を多用し、鋼鉄などの新しい素材を使用するという革新的な建築物を設計。これらはパリやウィーンなどに伝播したアール・ヌーヴォー建築の先駆け的存在となっています。
彼によってブリュッセル市内には多くのアール・ヌーヴォー建築が作られたのですが、現在残っているのはタッセル邸、ソルヴェー邸、ヴァン・エドヴェルド邸、オルタ邸のみ。これらは世界遺産に登録されています。
タッセル邸
1894年にブリュッセル自由大学の教授だったタッセルより依頼された邸宅。ここは世界初のアール・ヌーヴォーの建築物で、当時としては新しい建築素材であった鉄とガラスを利用し、アール・ヌーヴォーと建築を融合したもの。
ソルヴェー邸
1898〜1900年にかけて建造された邸宅。ここは科学者であり、実業家でもあったエルネスト・ソルベイの息子から依頼され、アボガニーや大理石など、裕福な依頼人だけに高級素材を多く使用しているというのも特徴です。
ヴァン・エドヴェルド邸
コンゴ自由国などの外交官であったヴァン・エドヴェルドの邸宅。ここはガラスをふんだんに使用した、オルタらしいデザインが見られます。
オルタ邸
1898〜1901年に建造されたオルタ自身の邸宅であるアトリエであった場所。自宅とアトリエは繋がっていて、ガラスによって光を取り入れたり、階層を明確に分けていないので、邸宅を広く感じさせるようにしていたりと、当時としては先鋭的な設計でした。現在はオルタ美術館として一般開放されています。
建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群 (ブリュッセル)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヴィクトル・オルタの都市邸宅群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
オルタが設計した邸宅は、人類の創造的資質を示す傑作であり、芸術と建築を織り交ぜたアール・ヌーヴォーにおける最高の表現であったということ。
登録基準(ii)
19世紀末のアール・ヌーヴォーが登場し、それらを建築に応用したことが、ヨーロッパ建築の発展の段階を示しているという点。
登録基準(iv)
オルタが設計した邸宅は、芸術、思想、社会において19〜20世紀への移行期を示す、アール・ヌーヴォー建築の傑出した例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
オルタは19世紀末にさまざまな芸術様式で流行したアール・ヌーヴォーを建築に応用したことで、当時の建築様式に革命が起こり、それらが社会や思想にも繋がっているという点で評価されています。
ちなみに、アール・ヌーヴォーもある意味「流行」ではあるので、オルタが作った建築物は、邸宅だけではなく、デパートや宮殿もあったのですが、それらは取り壊されてしまいました。しかし、助手たちの活躍によって現存しているものもあり、「ベルギー漫画センター」という博物館は、実はオルタが設計したデパートを改装したもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。