登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(6) |
登録年 | 1998年 |
トルコ西北部にあるダーダネルス海峡にある丘には「トロイの木馬」で有名な伝説の都市トロイがあったとされる場所。こは1870年からドイツの考古学者であったシュリーマンによって発掘され、紀元前8世紀に書かれたホメロスの叙事詩『イリアス』に登場する、伝説の都市・イリアス(トロイ)の存在が確認されたのです。
ここではトロイの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トロイの考古遺跡について詳しくなること間違いなし!
トロイの考古遺跡とは?トロイの木馬で有名な伝説の都市の歴史を解説
トルコ西北部・チャナッカレ県に位置するトロイの考古学遺跡は、ダーダネルス海峡から南へ約5kmの距離にあり、エーゲ海の平原を見下ろすようになっているヒサルルクの丘に築かれたもの。1870年からドイツの富豪であり、考古学者であったシュリーマンが発掘調査を行ったことによって、ここに伝説の都市トロイがあったということが判明しました。
ホメロスの叙事詩『イリアス』とは?
紀元前8世紀に活躍したとされるホメロスの叙事詩である『イリアス』。このストーリーは、かつてこの地がイリアスと呼ばれた時期のお話です。
トロイ国王のプリモアスの息子パリスが、スパルタの王メラオネスの妻であったヘレネを略奪したため、メラオネスが憤怒し、やがて彼の兄アガメムノンがギリシャの諸侯や英雄たちを率いてトロイへ攻めるという大戦争「トロイ戦争」になりました。戦争は10年にも渡って続き、ギリシャ軍は「トロイの木馬」に兵士を隠し、トロイ軍が寝た後に街を襲い、ついにトロイは陥落。
…といった有名な話ではあるものの、この遺跡が発掘されるまではこれはあくまでも神話だと思われていました。
実際のトロイの遺跡
実はトロイは、紀元前3000年から紀元500年頃にいたるまで何層にも渡って建造された都市。シュリーマンはイリアスの都市の存在を信じ、私財を使用し、とうとうトロイの時代のものと思われる都市遺跡を発見しました。「プリモアスの宝」と呼ばれる装飾品などが見つかる歴史的大発見だったのですが、これは第2市と呼ばれる紀元前2500〜紀元前2300年頃の遺跡だったのです。当時のトロイはエーゲ海交易で栄え、これらは初期青銅器時代のものと考えられています。
しかも、紀元前13世紀頃の第7都市はシュリーマンが発掘する際に削られてしまったのですが、この時代に火災や破壊の跡や人骨なども見つかっていることから、第6・7市が『イリアス』で描かれた時代のトロイと推定。第8市や第9市はギリシア・ローマ人による都市で、オデオン(コンサートホール)や議事堂なども残っています。
トロイの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トロイの考古遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
トロイの遺跡がある場所は、アナトリア半島やエーゲ海、バルカン半島の文化が交わる場所にあり、3000年以上に渡って人が住み続け、ヨーロッパの文明の発展を理解する上で重要な遺跡であるということ。
登録基準(iii)
トロイの第2市と第6市はオリエント都市の特徴を示し、第8市と第9市はギリシャ・ローマ遺跡の特徴が見られ、これらは5000年に渡って繁栄した古代文明の証拠でもあるという点。
登録基準(vi)
トロイでの出来事はかつてのイリアス、ホメロスの叙事詩『イリオス』やローマの詩人ウェルギリウスの『アエネーイス』などの作品のモチーフになり、トロイ戦争は2000年以上に渡り、ヨーロッパの各文化に影響を与えたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
シュリーマンが情熱を注いで発掘したトロイ遺跡は、彼が思っていた以上に古く、3000年にも渡って人が住み続け、時代ごとに特徴が異なり、ここが古代から栄えた壮大な文明であったということが判明したという点で評価されています。そして、イリオスはギリシャ・ローマの叙事詩のテーマとなり、それ以降も文学や絵画など、ヨーロッパの文化に大きな影響を与えたというのもポイント。
ちなみに、トロイの存在は確認できてもトロイの木馬の存在は確認できていません。一応、トロイ遺跡には雰囲気を出すために巨大な木馬像(写真の一番上)があるのですが…なんだかデフォルメされすぎてイマイチという人も。近郊の都市チャナッカレでは、ブラッド・ピットが出演した映画『トロイ』の劇中で使用した、リアルな木馬があり、こっちの方が雰囲気があったりします(写真の一番最後)。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。