マルタの世界遺産「バレッタ市街」とは?聖ヨハネ准司教座聖堂を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (6)
登録年1980年

地中海に浮かぶマルタの首都であるバレッタは、さまざまな支配者によって統治されてきましたが、町中にある建造物は聖ヨハネ騎士団と密接と関わるものが多いのが特徴。旧市街には歴史的建造物が多く立ち並びます。

ここでは、バレッタ市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バレッタ市街について詳しくなること間違いなし!

目次

バレッタ市街とは?

画像素材:shutterstock

マルタ島の首都であるバレッタは、島の北東部に位置しており、2つの港の間に位置する半島に築かれた要塞都市。聖地エルサレムで活動していた聖ヨハネ騎士団は12世紀以降はオスマン帝国に敗れ、キプロス島、ロドス島へと敗走していき、1530年にマルタ島に本拠地を移しました。

1566年にマルタ包囲戦でオスマン帝国を破ると、町の建設を始め、バレッタはルネサンス様式の建築物を含めた要塞都市になりました。そして、1571年にカトリック連合軍に加わり、レパントの海戦によってオスマン帝国を破り、寄進が多く集まるとバレッタには豪華な建造物が多く作られました。

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しかし、18世世紀後半にはナポレオンにより、聖ヨハネ騎士団はバレッタを追放され、ローマに本拠地を移すものの、その後は領土を持つこともなく、現在では国際慈善団体として活躍しています。

バレッタの都市設計はイタリアの建築家フランチェスコ・ラパレッリ・ディ・コルトーナが担当し、碁盤の目のようなルネサンス都市になっています。16世紀になると、ラパレッリの弟子であるジェローラモ・カッサールによって聖ヨハネ准司教座聖堂、マルタ騎士団総長館、勝利の聖母教会など、主要な建造物が作られていきました。

登録されている主な構成遺産

聖ヨハネ准司教座聖堂

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1573〜1578年にかけて建造さたカトリック教会の聖堂。外観は石灰岩で建造されていて、内部はバロック様式で設計されており、壁画は聖ヨハネの生涯が描かれたもの。さらに礼拝堂には、イタリア画家のカラヴァッジオによる『洗礼者聖ヨハネの斬首』が置かれています。

騎士団総長が、騎士団員のために建設を依頼したもので、礼拝堂は騎士団の出身地別に8言語ごとに分けられているのが特徴。

勝利の聖母教会

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バレッタで最古の建築物であり、1566年にマルタ包囲戦の勝利を記念して建造されたもの。バロック様式の豪華な内装で、天井には絵画が描かれていたりと、教会内には芸術作品が多く配されています。

バレッタ市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

バレッタが評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
バレッタは要塞で囲まれ、碁盤の目のような区画が作られた、ルネッサンス後期の理想都市であったということ。

登録基準(vi)
バレッタは聖ヨハネ騎士団によって建造された都市。彼らはバレッタを追放された後、現在のヨーロッパでも「領土なき国家」とされ、影響力があり、国際慈善団体として活動しているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

バレッタと聖ヨハネ騎士団は切っても切れない関係にあり、町の設計から担当した騎士団の理想都市であったという点が評価。そして、聖ヨハネ騎士団は今でも存在し、騎士団の精神をそのまま継承した慈善団体としても活躍しているということも遠からず評価に繋がっているようです。

ちなみに、聖ヨハネ騎士団の「ヨハネ」は、洗礼者ヨハネのほうで、イエスに愛された弟子のほうではありません。そして、聖地にあった頃は病院を兼ねていたことから「ホスピス騎士団」とも呼ばれていました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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