登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4), (6) |
登録年 | 2024年 |
古代ローマは領土内に多くの街道が整備されましたが、その中でも最も有名なのは「街道の女王」と呼ばれるアッピア街道。紀元前312年にローマの南東部にあるカペーナ門からイタリア中部のカープアまで建造され、紀元前264年に南東部のブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで延伸されると、合計で約540kmにも達しました。
ここではアッピア街道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アッピア街道について詳しくなること間違いなし!
アッピア街道(街道の女王)とは?
アッピア街道は、古代ローマ人にとって「街道の女王」と呼ばれるほどに偉大なる道路でもあります。ここは紀元前312年に首都であったローマ市の中心フォロ・ロマーノからイタリア中部のカープア(古代都市)までを結ぶと、領土が拡大していくうちに延伸していき、やがて紀元前264年にはギリシャ方面へと結ぶ主要港であった、イタリア南東部のブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで、合計で約540kmにもなりました。
この街道は合計で約540kmの距離を13〜14日間で移動できるようになっていて、何度も修復されるうちに中世まで利用されるようになりました。14世紀以降もイタリア南部への主要道路として利用され、現在も「アッピア旧街道」として残っています。
特にローマから南東部のテッラチーナまでは、約90kmもの直線の道が続き、途中から運河が並行するという仕組みになっていて、馬を休ませ、ボートで乗り換えて移動ができるという工夫がされていました。現在のアッピア街道というと、ローマの南東部に広がる「アッピア街道州立公園」が代表的。当時の遺構の状態も良く、ローマ時代の霊廟やキリスト教会などが点在しています。
アッピア街道(街道の女王)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アッピア街道が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
登録基準(iv)
登録基準(vi)
アッピア街道は、目的地まで道がまっすぐとなっているというのが特徴で、これらは橋や高架などを駆使して、水域や沼地、山々を越えるように設計されています。ローマ人はおもに玄武岩を敷き詰めて街道を舗装し、安定性と排水性を高めていて、あらゆる気象条件でも移動できるというのが特徴。そして、ペルシャやエジプトの街道は王や軍隊の移動のために築かれたものであるのに対して、アッピア街道は庶民が都市と郊外を移動できるという公共施設でもありました。一定の間隔で、伝馬所や宿泊施設のある宿場町があり、効率的な交通システムであることから、東方を含めた小アジア方面へ進軍するために重要であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
現在もイタリア南部に残っているアッピア街道は、古代ローマが拡大していくにつれ、延伸され、道は排水にも強く、庶民が利用できるように整備されているのが特徴。宿場町などを繋いで領土内のネットワークを結んでいたことから領土内に情報の伝達などにおいても貢献していたという点で評価されています。
ちなみに、アッピア街道は日本の東海道の一里塚のようにマイルストーンが設置されています。ただあくまでもパッススと呼ばれる単位で、1パッススは2歩分の長さで約1.48m。1000パッススは、1ミリアリウム(約1.48km)と呼ばれ、これこそが英語の「マイル」の語源の一つとなったとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。