登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2003年 |
イスラエル最大の都市テルアビブ。20世紀前半にスコットランドの建築家パトリック・ゲデスによる都市計画によって「ガーデン・シティ」が建設され、ヨーロッパからモダニズム建築家が移住し、白を基調としたモダニズム建築が多く並ぶ近代都市となりました。
ここではテルアビブの白い都市-近代化運動がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、テルアビブの白い都市について詳しくなること間違いなし!
テルアビブの白い都市-近代化運動とは?
イスラエル中西部にある大都市テルアビブ。ここは1909年までは砂丘だった場所ですが、南にある湾口都市ヤッファに世界各地から多くのユダヤ人移民があふれると北の方へと街が拡大し、移民たちのために新しい住宅が建造されていくようになりました。
都市計画に関しては1925年にスコットランドの建築家のパドリック・ゲデスによって設計されたもの。彼は都市計画に「地域」や「環境」という概念を入れ、テルアビブの場合は「ガーデン・シティ」というコンセプトであり、居住区間に公園などの緑地を結びつけるという革新的な設計で、20世紀の都市計画に影響を与えました。
現在でも残る建築物は1920年代から1950年代まで、さまざまな国で学んだ建築家によって設計されました。特に移民たちはドイツのバウハウスで学んでいたり、近代建築運動を代表するル・コルビュジエに影響を受けていたりしたため、機能性を重視したモダニズム建築が多いのが特徴。テルアビブは地中海気候と砂漠気候でもあるため、白を基調としたのは、熱を反射するためであり、建物に備え付けられたバルコニーは風が入るよう、気候に合わせて設計されたものでもありました。
テルアビブの白い都市-近代化運動はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
テルアビブの白い都市が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
テルアビブの白い都市は、20世紀初頭の建築物と近代建築運動の都市計画が融合しつつ、テルアビブの環境や文化に合わせて建造されていったという点。
登録基準(iv)
テルアビブの白い都市は、移民たちの文化や街の気候に合わせた、20世紀初頭の都市計画と建築物の優れた例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
少し分かりづらいですが、テルアビブに残る白い都市は、移民だらけのこの街の文化や伝統のなかで、砂漠に位置する気候の中で暮らしやすいように設計されたという点で評価されています。そして、ヨーロッパのモダニズム建築を学んだ建築家たちによって、新しい建造物をどんどん作ることができる土壌もあったというのもポイント。
ちなみに、世界遺産に登録されている建築物はほとんどが邸宅やオフィスビルのため、見学できるのは博物館となっている建物のみですが、中にはかつての映画館を改築してホテルにした「シネマ・ホテル・アン・アトラス・ブティック・ホテル」などもあり、古くから残るホテルに泊まると、その凄さがよく分かるかも。…とはいえ、内部は最先端の家具でいっぱいなのでご安心を。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。