登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 1992年 |
首都モスクワ北東に位置するウラジミールとスーズダリは、かつてウラジーミル・スーズダリ大公国(1157〜1363年)の中心都市で、ウラジミールを代表するウスペンスキー聖堂やスーズダリのロジェストヴェンスキー聖堂など、ロシアの教会建築の原点的な建築様式が見られます。
ここではウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群について詳しくなること間違いなし!
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群とは?
ロシア西部にあるヴラジーミル州。ウラジーミルとスーズダリは12〜13世紀に発展した現在のロシアのルーツ的国家であった「ウラジーミル・スーズダリ大公国」の中心都市でした。2つの都市に残る建造物は、当時のルーシ(現在のロシア西部一帯などを示すエリア)は木造建築が多かった中、石造りであるロシア特有の建築様式を確立したという点で評価されています。
ウラジミール
首都モスクワから北東へ約200kmの位置にある、ウラジミールはヴラジーミル州の州都。ここはウラジーミル・スーズダリ大公国の首府として12世紀前半に創建され、12世紀後半には急速に発展していったものの、13世紀のモンゴル帝国によって破壊されてしまいます。その後、ルーシの中心はモスクワへと移転していきますが、ここは宗教的中心地になっていきました。
ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)は、石灰岩で築かれ、5つのドームを持ち、当時のルーシ(ロシア)でも最大の大聖堂でした。内部のイコン「ウラジミールの聖母」や15世紀の有名なイコン画家であるアンドレイ・ルブリョフによるイコンなどが残っています。
スーズダリ
ウラジミールから北へ約30kmの位置する古都。街としての歴史はこちらのほうが古く、ウラジミールに遷都する前はウラジーミル・スーズダリ大公国の首府でもありました。街の中心部にあるクレムリン(要塞)は11世紀建造で、50以上もの聖堂や修道院が残っていて、かつてはロシア正教の中心都市でもありました。
クレムリンには、ロジェストヴェンスキー聖堂(生神女誕生大聖堂)があり、13世紀に建造されたものの、16世紀に再建されました。ここは金色の星が描かれた青い5つのドームで有名で、13世紀に建造された金と銅の象嵌で飾られた「黄金の扉」もあります。
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群は、ロシア建築のルーツ的存在で、これらは白い石造りの建造物で内部には芸術家達の傑作が並び、建築と芸術の統合が見られるという点。
登録基準(ii)
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群は、石造りの建築技術の発展が見られ、これらはこの地域の人々の歴史と文化の重要な段階を示し、その後のロシアの教会建築のルーツ的存在であるということ。
登録基準(iv)
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群は、建築技術の傑出した例であり、これらは12〜13世紀の白い石造りの建築様式の始まりと繁栄を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ウラジミールとスーズダリの2つの都市に残る白亜の建築物は、それまでのルーシの木造建築に変わり、聖堂などに石造りの建築が多く見られ、これがロシアの教会建築の基盤になったという点で評価されています。
ちなみに、ウラジミールはここでは都市名でありますが、もともとは人名で、キエフ大公ウラジーミル2世モノマフがこの地に街を建設したので自分の名前を付けたという伝説が由来しているそう。ウラジミールはプーチン大統領を含め、ロシアでは割とよく見られるファーストネーム。ちなみに、ソビエト連邦の初代指導者のレーニンのファーストネームもウラジミールです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。