ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763〜1814年)はナポレオン・ボナパルトの最初の妻であり、フランス第一帝政における皇后(1804〜1810年)でもありました。彼女はナポレオンが最も愛した女性であり、社交界においても華のあった人物としても知られています。ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネとはどういった人物だったのでしょうか?
今回はジョゼフィーヌ・ド・ボアルネがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネについて具体的に理解できること間違いなし!
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルとはどんな人物?

ジョゼフィーヌは1763年にカリブ海に浮かぶ、フランス領マルティニーク島で生まれました。本名は「マリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリー」。16歳の時に、フランスの貴族アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚し、2人の子を生むものの、1794年にフランス革命の最中、夫アレクサンドルが処刑。1795年にジョゼフィーヌはフランス社交界で活躍し、活躍が目覚ましいナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)と出会います。
1796年にナポレオンと結婚。それまでは「ローズ」と呼ばれていたものの、ナポレオンは彼女は「ジョゼフィーヌ」と呼んだことから、このように名乗るようになりました。ナポレオンは妻を深く恋し、遠征中も情熱的なラブレターを送り続けたことでも知られます。



1804年にナポレオンがフランス皇帝となり、ジョゼフィーヌは皇后に即位。しかし、ジョゼフィーヌにはナポレオンの後継者を産むことができず、1810年に離婚してしまいます。離婚後もナポレオンと友好的な関係を維持するものの、1814年にナポレオンがエルバ島へ流刑とな?ものの、再度フランス本土へと戻ってくるタイミングで彼女は突然の肺炎で死去しました。
そして、ナポレオンも1821年に南太平洋のセントヘレナ島で死去。最期の言葉は「フランス!…軍隊!…軍隊のかしらに…ジョゼフィーヌ!」と言ったほど。彼が生涯において最も愛した女性でありました。
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プレー山およびマルティニーク北部の火山・森林群/フランス



フランスの海外領土であるマルティニーク島は、カリブ海に浮かぶ西インド諸島南部の小アンティル諸島に属する島。ここはドミニカとセント・ルシアという島国の間に位置し、一時的にイギリスに占領されたことがあるものの、17世紀からフランスが支配し、砂糖などのプランテーションが築かれました。
島には豊かな自然環境が残り、ここは過去に一つの街を破壊するほどの大噴火が発生したプレー山を含む火山島ではありますが、森林地帯が広がっていて、動植物ともに固有種が豊富なのが特徴。
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世界遺産マニアの結論と感想
ナポレオンにとってジョゼフィーヌは最愛の相手であり、戦争中も手紙を送り続けるほどにパワーの源でもありました。そして、ジョゼフィーヌの社交的な才能がナポレオンの政治的成功を後押ししたという側面もあります。
とはいえ、かなりの浪費家で豪華なドレスを好み、浮気も多くしましたが、ナポレオンがエルベ島に追放された際に、多くの部下が見限る中、支援して支えたのはジョセフィーヌであったことから、ナポレオンのベストパートナーといえるのは2番目の妻で家柄の良いマリー・ルイーズよりも彼女だったと考えられるでしょう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。