ミマール・スィナンとはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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ミマール・スィナン(1489〜1588年)は、オスマン帝国で最も偉大な建築家であり、黄金時代に数百もの建築物を担当した人物です。世界遺産にも登録されたスレイマニエ・モスクやセリミエ・モスクなども彼の作品。ミマール・スィナンとはどういった人物だったのでしょうか?

今回はミマール・スィナンがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ミマール・スィナンについて具体的に理解できること間違いなし!

目次

ミマール・スィナンとはどんな人物?

ミマール・スィナンの彫像
画像素材:shutterstock

ミマール・スィナンは、現在のトルコ東部・カイセリ近郊で生まれました。「ミマール」とは建築家という意味であり、「建築家のスィナン」という意味。彼の出自については諸説ありますが、オスマン帝国のキリスト教徒出身の少年たちが宮廷で教育を受けるデヴシルメ制度によって、イェニチェリ(オスマン帝国の精鋭歩兵軍団)として軍務に就き、各地で建築や土木技術を学びました。

1538年にスィナンはスルタン・スレイマン1世(1494〜1566年)の信任を受け、帝国の首席建築家に任命されました。それ以降、彼は約50年間にわたり、帝国の各地でモスク、宮殿、水道橋、浴場(ハマム)、霊廟、学校、隊商宿(キャラバンサライ)などを設計していました。

セリミエ・モスクとその社会的複合施設群
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スィナンは300以上の建築計画に関与したとされていますが、その中でも、スレイマン1世の命によって建設された、イスタンブール最大のモスク「スレイマニエ・モスク(1557年完成)」は、大ドーム(直径約26.5m)と半ドームが巧みに配置され、オスマン建築の原型となるデザインを確立。

1575年に完成し、彼自身が「自らの最高傑作」と評した「セリミエ・モスク」は直径31.28mの巨大ドームを持つ、オスマン帝国建築史上最大のモスクでもありました。1588年にミマール・スィナンは亡くなり、スレイマニエ・モスク近くにある自身の設計による霊廟に埋葬。

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スレイマニエ・モスク/トルコ

スレイマニエ・モスク

トルコ共和国の最大都市イスタンブールは、かつてはローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の首都となった場所。

スレイマニエ・モスクは、16世紀に帝国の最盛期を築いたスレイマン1世が建築家ミマール・スィナンに依頼して建造したもの。高台に位置するモスクで、ドームは高さが約53m。周辺には学校や病院なども含む複合施設でした。

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ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋/ボスニア・ヘルツェゴビナ

ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋
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ヴィシェグラードは、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国にある小さな町です。この町に人々が住み始めたのが15世紀で、その後オスマン帝国によって支配されると、16世紀末に街を流れるドリナ川に宮廷建築家であったミマール・スィナンによって橋が造られました。

橋はオスマン帝国のシンボルであり、当時の土木技術の結晶でもありました。11〜15mの間隔で11のアーチがあり、川の左岸に4つのアーチがある傾斜も併設。

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セリミエ・モスクとその社会的複合施設群/トルコ

セリミエ・モスクとその社会的複合施設群
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エディルネはトルコのヨーロッパ側にあるトラキア地方の中心都市で、ブルガリア国境まで10kmの位置にあります。ミマール・スィナンは晩年にモスクの建設を依頼されたこともあり、彼の建築技術がすべて注ぎ込まれてたモスクに。

ここは巨大なドームと4つの尖塔を持ち、モスク内には「イズニック・タイル」を利用。卓越した美しさを誇り、ドームの大きさはイスタンブールのアヤソフィアを超えることから彼の最高傑作でもあります。

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世界遺産マニアの結論と感想

ミマール・スィナンは天才的な建築家ではありましたが、彼の才能はそれだけではなく、オスマン帝国の都市計画やインフラ整備にも多大な影響を与えた偉大な技術者でもありました。彼の作品は世界遺産に登録されるほどで、今でも多くの建築家たちに高く評価されています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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