オルハン(1281〜1362年)は、オスマン帝国の第2代スルタンで帝国の基礎を築いた人物。彼の治世により、オスマン帝国は小規模なベイリク(君侯)から国家へと成長しました。オルハンとはどういった人物だったのでしょうか?
今回はオルハンがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、について具体的に理解できること間違いなし!
オルハンとはどんな人物?

当時のアナトリアはベイリク(君侯国)と呼ばれる、ベイ(地方の君主)が各地で割拠し、争っていた時代。父オスマン1世は君侯(ベイ)であったので初期はオスマン・ベイであり、彼はまだ遊牧民が集まった戦士集団のリーダーといった存在でした。オルハンがどのように即位したかは諸説ありますが、オスマンから軍の指揮権を委ねられると、1326年にブルサを征服、帝国の首都とし、オスマン1世が亡くなるとこの地に埋葬します。そして、ニカイア(現イズニク)などを占領し、現在のトルコ北西部一帯を征服。
彼の治世は軍事集団から国家へと成長した段階で、ビザンツ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノスの娘テオドラと結婚し、同盟関係を築いたことから、ビザンツ帝国をモデルに君主直属の常備軍として再編成し、法治国家として帝国の基盤を築いていきます。そして、経済の安定化を図り、オスマン帝国独自の貨幣制度を確立。彼の治世は長く、1362年に死去しますが、その後、オスマン帝国は大きく発展し、その後のヨーロッパ侵攻の土台を築きました。
オルハンにまつわる世界遺産はこちら!
オルハンの霊廟/トルコ



トルコ北西部のブルサ県の県都であるブルサ市は、人口が300万人を超えるトルコ第4の都市。ここはかつてトルコだけでなく、東地中海からバルカン半島まで支配したオスマン帝国の最初の首都があった場所。
中心部には、14世紀に帝国の始祖オスマン1世と、その息子・オルハンなどの霊廟が築かれ、それにモスク、マドラサ(宗教学校)、ハマム(浴場)などが揃ったキュリエと呼ばれる公共施設が残ります。
詳細はこちら↓



世界遺産マニアの結論と感想
オルハン1世は、軍事集団だったベイリクを、行政や軍事制度の整備を進め、国家へと成長させた名君であり、彼こそがオスマン帝国の実質的な建国者として評価されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。