オットー1世(912〜973年)は、東フランク王国の王(在位:936〜973年)でありますが、その政治手腕で神聖ローマ皇帝(在位:962年 – 973年)として戴冠したことで知られています。そんなオットー1世とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はオットー1世(大帝)がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オットー1世について具体的に理解できること間違いなし!
オットー1世とはどんな人物?

オットー1世は、東フランク王であったハインリヒ1世(元ザクセン公、876〜936年)の後を継ぎ、936年に東フランク王に即位しました。即位式はアーヘンの大聖堂で行われ、これは偉大なるカール大帝の伝統を継ぐ者として世に示したもの。即位後、彼は国内の大貴族の反乱に直面しましたが、これを鎮圧し、王権を強化しました。
951年にオットーはイタリア遠征を行い、イタリア王として戴冠。955年にはドイツ王国を脅かしていたマジャール人をレヒフェルトの戦いで撃破。これらの功績により、962年にはローマ教皇ヨハネス12世によってローマで皇帝として戴冠しました。当時は単なる「帝国」ではありましたが、後に彼の築いた帝国は「神聖ローマ帝国」 と呼ばれるようになりました。これは、かつての西ローマ帝国の後継者としての地位を確立するものでした。
戴冠後、ローマ教皇ヨハネス12世が反オットー勢力と結びついたため、オットーはローマを再征服し、ヨハネス12世を廃位。これにより、教皇以下の聖職者の任免権を皇帝が握る「帝国教会政策」を実現し、帝国を統治するようになりました。オットー1世は973年に死去し、現在はドイツ中部のマクデブルク大聖堂に埋葬されています。
オットー1世にまつわる世界遺産はこちら!
聖堂参事会教会(聖セルヴァティウス教会)/ドイツ



ドイツ中央部ザクセン=アンハルト州にあるクヴェードリンブルクは、10世紀にオットー家(リウドルフィング家・ザクセン朝)によって支配された町。
旧市街の南にある丘は城を中心とした行政エリアとなっています。ここにある聖堂参事会教会(聖セルヴァティウス教会)は、10世紀に創建されたロマネスク様式の教会で、ハインリヒ1世の息子であるオットー1世によって建造。
詳細はこちら↓



世界遺産マニアの結論と感想
オットー1世は「大帝」と呼ばれるだけであって戴冠によって、神聖ローマ帝国として以後のドイツ・イタリアを中心とした帝国としての枠組みを形成し、教皇を廃位・擁立することで、皇帝の権威を高めた人物として、その後の中世ヨーロッパの政治や宗教に関して大きな影響を与えています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。