トトメス3世(在位:紀元前1479年〜紀元前1425年)は、遠征を17回以上を行い、エジプト史上最大の領土となったことから「エジプトのナポレオン」と呼ばれます。そんな征服王であるトトメス3世とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はトトメス3世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トトメス3世について具体的に理解できること間違いなし!
トトメス3世とはどんな人物?

トトメス3世は、第18王朝(紀元前1570年頃〜紀元前1293年頃)のファラオであり、父であるトトメス2世が早逝したため、幼少期に即位しました。それと同時に叔母であり、義母でもあったハトシェプストが摂政となるものの、トトメス3世は幼少であったために、彼女自らファラオとして即位し、死を迎えるまで22年間も共同統治が継続されます。
そして、彼自身が親征を行うようになると、現在のイラク北部に位置していたミタンニ王国が周囲の国と合わせてエジプトに対して同盟を結んでいたために、積極的に外征を行うことになりました。両者は現在のパレスチナで激突し、エジプトが勝利すると、領土は現在のシリア近くまで拡大し、北はユーフラテス川から南はヌビア地方(現在のエジプト南部)まで拡大し、彼は古代エジプトにおける最大領土を築きました。
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トトメス3世の墓(KV34)/エジプト



王家の谷はナイル川西岸の岩山に築かれた岩窟墓群。ここは新王国時代のファラオの墓が多く集まり、24の王墓を含めた64の墓が点在しています。
ここは古代に略奪されてしまって行方不明であり、奥地にあったことからなかなか見つかりませんでした。王家の谷でもかなり古いタイプで埋葬室が途中で大きく曲がるのが特徴。埋葬室の前には葬送文書が描かれていて、保存状態が良かったことから歴史的発見であり、埋葬室は楕円状で、天井はソカル神を象徴する星の装飾が見られます。壁のデザインは古代エジプトの神々がシンプルに描かれているのが他の墓とは違う点。
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カルナック神殿/エジプト



ルクソール市街から北へ約3kmにある、古代エジプトでも最大規模の神殿。エジプト中王国時代(紀元前2055〜紀元前1650年頃)から建造が始まり、アメン・ラー神、コンス神、ムト神、モンチ神の神殿や聖域など、さまざまな建造物の集合体でもあります。
特にトトメス3世が手掛けたのは、第6塔門より先に広がるエリアで、祝祭殿の多柱室ではトトメス3世より以前の王名を示す「カルナック王名表」が発見されたことでも知られます。
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トトメス3世のオベリスク/トルコ



トルコの大都市・イスタンブールの旧市街の中心とも呼べるスルタンアフメト広場には、古代の競馬場(ヒッポドローム)が存在し、遺構は地下に埋まっています。遺構は地下に埋もれていますが、当時置かれていた記念碑は今でもいくつか見られ、ルクソールにあるカルナック神殿から運んできた「トトメス3世のオベリスク」はこの場で現存。
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世界遺産マニアの結論と感想
トトメス3世は、古代エジプトでも最大の領土を獲得した人物であり、その軍事力によって各地を支配し、ルクソールでも最も重要な神殿であるカルナック神殿を大いに拡張した人物でもあります。その功績は彼のオベリスクや、王家の谷にある彼の墓からもよく分かるもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。