和歌山県の世界遺産「奥之院参道(墓域)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (6)
登録年2004年

奥之院参道(墓域)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。高野山の奥之院の参道には、10〜20万もの石塔が並んでいて、これらは皇族から名も無き人々の墓碑でもあり、日本古来の山岳信仰が見られる場所。ところで、奥之院参道はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは奥之院参道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、奥之院参道について詳しくなること間違なし!

目次

奥之院参道(墓域)とは?

一般的に和歌山県の高野町にある山に囲まれた盆地が地名として「高野山」と呼ばれています。ここは真言宗の総本山であり、正式名称は「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」。奥の院は、高野山の敷地においては最も東側に位置していて、信仰の中心でもあります。

奥の院の入口でもある「一の橋」から「中の橋」を通り、「御廟橋」まで、約2kmにわたる参道と墓域が続いてます。参道は墓域となっていて、弘法大師が眠るこの地で墓碑を築きたいという人々のために用意され、その数は大名から名前のない人々を含めて10〜20万と膨大。

なんと全国の大名家の42%以上の墓碑があり、武田信玄、上杉謙信、織田信長、明智光海、豊臣家、戦国大名たちの霊屋(たまや)や供養塔も敵味方関係なく置かれているのが特徴です。江戸時代までは身分のある人物のみ墓碑が築かましたが、明治以降は自由となり、最近は戦争や災害などの犠牲者を弔う慰霊碑なども置かれています。

奥之院参道(墓域)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

奥之院参道が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。

登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。

登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。

登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

奥之院は空海が入定した場所であることから、この世とあの世の境目とされる信仰が残り、日本独自の宗教観が見られ、現在も人々が祈りを捧げるために訪れているという点で評価されています。

ちなみに、近代になると身分に関係なく、誰でも墓碑が置けることになったことから、大企業の社長などもここで祀られることが多くなり、ヤクルトの形をした慰霊碑まであります。これはヤクルトグループの先人たちの御霊が供養されているとのこと。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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