なんと南北約4300kmという国土を持つ、世界で最も細長い国家であるチリ。鉱業が盛んな国でかつての工業都市などが世界遺産に登録されています。モアイで有名なイースター島もチリ領なのでこちらも含まれますが、チリの世界遺産はいくつあるでしょうか?
ここでは、チリの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
目次
ラパ・ヌイ国立公園(イースター島)
イースター島は、チリから東へ約3000kmも離れた絶海の孤島にあり、島全体がラパヌイ国立公園として登録。島にポリネシア人が住み着いた時期については諸説ありますが、7〜8世紀頃にアフと呼ばれる石の祭壇が建造されるように。そのアフの上にモアイ像が作られ始めたのは10世紀頃と考えられています。
やがて島内にはほぼ住民はいなくなり、900体ものモアイだけが残りました。現在は独特の景観が見られるということで、モアイは貴重な観光資源になっています。
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チロエの教会群
チリ南部の沿岸に浮かぶチロエ島。ここは南米でも5番目に大きな島で、17世紀にヨーロッパから修道会の一つ、イエズス会が布教活動を始め、18世紀からはフランシスコ会によって続けられ、約70もの木造教会が布教活動のために建造されました。
この島では特に先住民とヨーロッパの文化が融合したこともあり、有名なカストロ聖堂を含めて14の教会は「チロエ様式」と呼ばれる独特の木造建造物であるという点で評価されています。
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バルパライソの海港都市の歴史的街並み
チリ中部、太平洋岸に位置するバルパライソは19世紀後半から20世紀初頭に繁栄した港湾都市。位置としては、大西洋からマゼラン海峡を経由して太平洋を抜けるという航路上にあり、経由地として活躍しました。
街は港に沿って円形劇場のようになっており、その丘の斜面にはカラフルな家々が並び、教会の尖塔が点在するという独特の町並み。そして、丘の中腹を行き来するエレベーターなど、歴史の深いインフラもきちんと保存されているという点も評価のポイント。
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ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群
チリ北部のタラパカ地方の中心都市イキケから東へ約48kmの距離。地球上で最も乾燥したアタカマ砂漠に属していて、ここには硝石工場跡があります。1880年から60年以上にも渡り、世界最大の硝石の堆積物を処理して硝酸肥料のナトリウムを生産し、欧米に輸出して、莫大な富を築きました。
ここにはチリ、ペルー、ボリビアから集まってきた労働者によって築かれたパンピノス文化と呼ばれる共同体がありました。
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スウェルの鉱山都市
チリ中部のカチャポアル県にあるスウェルは、現在は人が住むことのない鉱山都市の跡地。ここはアンデス山脈内にあり、標高2000mを越える土地に世界最大規模のエル・テニエンテ銅山の採掘と加工のために、世界各地から労働者が集まった企業都市でもありました。
ここは急斜面に設立したために階段が多く、製錬所や工場だけでなく、娯楽施設やカラフルな家々が続くという独特の街並みが現在も残っています。
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カパック・ニャン アンデスの道(コロンビア・エクアドル・ペルー・ボリビア・アルゼンチンと共同)
カパック・ニャンは、インカの人々によって数百年にも渡って築かれ、北からコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる3万kmの街道。ここは約6000m級の山々、熱帯雨林、渓谷、砂漠などを通る、世界でも最大規模の道路網でもあります。
カパック・ニャンはインカ帝国の首都であったペルーの都市・クスコの広場から、東西南北に延びる4つの道が主要道路となっています。登録されているのは、コリャ・スウユ(南方)で、現在のボリビアを通り、チリやアルゼンチン中部までを結んでいたルート。
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アリカ・イ・パリナコータ州におけるチンチョーロ文化の集落と人工ミイラの製法
チリ北部、アリカ・イ・パリナコータ州に点在する3つの遺産で構成されています。登録されているのはアタカマ砂漠が広がるエリア。
チンチョーロ文化とは紀元前7000年から紀元前1500年までの間、この地で漁業と狩猟を中心に暮らしていた人々の文化。この文化の特徴は世界でも最も古い「人工ミイラ」が作られていたという点で評価されています。
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世界遺産マニアの結論と感想
チリは自然遺産と複合遺産はなく、文化遺産が7件のみ。なんといってもモアイが点在するイースター島のイメージが強いですが、鉱業都市や港湾都市など産業関連の遺産も多いというのもチリの魅力でもあります!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。