チリの世界遺産「ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4)
登録年2005年

チリの北部にあるハンバーストーンとサンタ・ラウラには、19〜20世紀に建造された200以上もの硝石工場跡が残っています。かつてここにはチリ、ペルー、ボリビアから集まってきた労働者によって築かれたパンピノス文化と呼ばれる共同体がありました。このエリアでは1880年から60年以上にも渡り、世界最大の硝石の堆積物を処理して硝酸肥料のナトリウムを生産し、欧米に輸出して、莫大な富を築きました。

ここではハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ハンバーストーンとサンタ・ラウラについて詳しくなること間違いなし!

目次

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群とは?

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群
画像素材:shutterstock

チリ北部のタラパカ地方の中心都市イキケから東へ約48kmの距離。地球上で最も乾燥したアタカマ砂漠に属していて、ここには硝石工場跡があります。地下には世界でも最大規模の硝石が埋蔵していて、これは農地の化学肥料となる硝酸ナトリウムになるため、1872年に当時のペルー領であったこの地に、硝石工場が築かれました。ここには200もの硝酸関連の工場が築かれ、近代的な鉄道システムによって相互接続され1880年から60年にわたって稼働。しかし、1930年代をピークになったものの、1960年代には工場は閉鎖し、ゴーストタウンに。

ここにはチリ、ペルー、ボリビアから何千もの労働者がこの地に集まり、パンピノス文化と呼ばれる共同体が築かれました。サンタ・ラウラには産業設備が残っていて、共同浴場も残ります。ハンバーストーンには、居住区や公共施設だけでなく、アール・デコ(20世紀初頭に幾何学図形や工業製品のようなデザインなどが見られるもの)の劇場や礼拝堂などが残ります。この2つの硝石工場群は、チリに莫大な富をもたらしたと同時に19世紀後半の欧米の農業革命を支えたもので、パンピノス文化のシンボルとして今でも地元の人々にとって重要なもの。

危機遺産(危機にさらされている世界遺産)

硝石工場は木造であったため非常にもろく、地震の被害もあり、2005年の登録と同時に危機遺産に登録。しかし、2019年に状況が改善されたために解除されています。

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群
画像素材:shutterstock

ハンバーストーンとサンタ・ラウラが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
硝石産業が発展すると、この地に南米やヨーロッパから人々が集まり、知識や技術などが融合し、文化交流が見られる場所であったという点。

登録基準(iii)
硝石鉱山とそれに関連する企業都市には、独自の組織や習慣、創造的な建造物などが見られる共同体に発展し、ハンバーストーンとサンタ・ラウラではその独自の文化が存在していたということ。

登録基準(iv)
チリ北部の硝石鉱山は世界最大の天然の硝石の埋葬地でもあり、これを原料に精製される硝酸ナトリウムは当時の世界の農業に変革をもたらしたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、硝石産業が発展したことから、南米各地から人々が集まり、独自の共同体へと発展し、それが建築物にも見られ、この地で精製される硝酸ナトリウムは欧米の農業に大いに変化をもたらしたという点で評価されています。

ちなみに、周辺の中心都市イキケは、ナスカプレートと南アメリカプレートの沈み込み帯で、1877年に発生したイキケ地震と呼ばれる巨大地震も発生するほどに地震が多い地。イキケ地震がきっかけに戦争が勃発し、結果的にここはチリ領となったので、地震によって領土が広がったという点で国としては良かったのかもしれませんが…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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