アラビア半島の基部に広がるイラクは、ほとんどが砂漠地帯。ここは世界でも最古の文明の一つ、メソポタミア文明が栄えた地だけあって、人類の歴史のルーツともなる遺跡がたくさん。他にもバビロン庭園で有名なバビロンなど、さまざまな遺産がありますが、世界遺産はいくつあるでしょうか?
ここでは、イラクの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
ハトラ/危機遺産
イラク共和国北部のニーナワー県の砂漠地帯に位置する都市遺跡。ここは現在のイラクからパキスタンまで広がる帝国を築いたアルサケス朝パルティア(紀元前247年頃〜224年)によって、紀元前1世紀ころに建造された軍事都市でした。この地はローマ帝国とパルティアを結ぶ交易路にあり、2世紀に繁栄するものの、4世紀には廃墟に。
中心部にはヘレニズムやローマなどから影響を受けた神殿が今でも現存していますが、2015年にISIL(イスラム国)が占拠したため、それ以降は危機遺産に登録。
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アッシュール(カラト・シャルカト)/危機遺産
首都バクダットから北西へ約390km。ここはかつてチグリス川を中心としたメソポタミア文明の北部にあり、「アッシリア」と呼ばれていたエリアにあります。アッシュールは、アッシリアの中心都市で、調査によると紀元前30世紀にはすでに人が住んでいたとされるほどに歴史のある都市。
ここはかつてアッシリア神話の最高神であるアッシュール神を祀る宗教施設があった場所で、大部分は砂に埋もれたものの、現在ではジッグラト(聖塔)や宮殿跡が見られます。アッシュール遺跡の近くにはダムの建設計画があり、そのままだと水没する可能性があることから、危機遺産に登録。
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都市遺跡サーマッラー/危機遺産
首都バクダートから北西約130kmに位置するサーマッラーは、西はチュニジアから東は中央アジアまで支配したアッバース朝の首都だった場所。8代目のカリフであるムウタスィム(794〜842年)は836年に当時の首都バクダートからこの地へと遷都し、892年まで首都として繁栄しました。2003年から始まったイラク戦争による政情不安のため、危機遺産に登録。
ここに9世紀建造の(当時は)世界最大規模だったモスクと、マルウィーヤと呼ばれる螺旋状のミナレットがあることで有名。しかし、モスクは外壁しか現存していません。
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アルビールの城塞
イラク北部アルビール県の県庁所在地であるアルビール。シュメール時代から人が住むというほどに歴史の古い街でもあります。街のシンボルは丘の上に残る難攻不落の要塞。城壁は19世紀の後期オスマン帝国時代に建設されたもの。
アルビールは、アッシリア(紀元前20世紀頃〜紀元前7世紀頃)の政治と宗教の中心地であったアルベラとされており、調査の結果、卵型の丘に古い集落があったと確認されています。
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南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影
アフワールとは、現在のイラク南部にある湿原地域を指し、ティグリス川とユーフテラス川によって形成されたデルタ地帯を示しています。ここは紀元前5000年から紀元前3000年の間にペルシャ湾の水位が上がり、海岸線が現在と比べて200kmもの内陸にまで達していました。周囲は淡水の湿地帯となり、この地が世界でも最古の文明の一つメソポタミア文明の起源となります。
現在はウルやウルク、テル・エリドゥというシュメール時代の都市遺跡と、4つの湿地帯を含めて構成された複合遺産となっています。
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バビロン
バビロンは、首都バグダッドの南約85kmに位置する古代都市遺跡で、紀元前3000年には既に人がここで住んでいて、メソポタミア文明でも最大の集落の一つでした。その後、栄枯盛衰を繰り返すも、紀元前7世紀〜紀元前6世紀にかけて、新バビロニア帝国の首都として繁栄し、遺跡からは古代世界で最も影響力のあった帝国の跡が見られるというもの。
遺跡は、内壁と外壁という二重の壁に囲まれていて、門や宮殿、ジッグラトという巨大な神殿跡などが点在しています。
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世界遺産マニアの結論と感想
イラクの世界遺産としては6件ではありますが、文化遺産5件の他に複合遺産も一つとバラエティ豊か。ウルのジッグラトやバビロンなどの古代遺跡からイラン南西部の湿地帯まで幅広いジャンルの遺産があるのが魅力です!現在、危機遺産に登録されている遺跡も3件あり、訪問するのが難しいエリアではありますが、いつかは安心して行けるようになると良いですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。