オマーンはアラビア半島の東端にある国で、全土が砂漠気候でほとんど河川がないという国土が広がっています。ここはかつて乳香の産地で、やがてパキスタンから東アフリカまでを支配した海上帝国「オマーン帝国」の中心地となったこともあり、歴史深い建造物などが点在しますが、世界遺産はいくつあるでしょうか?
ここでは、オマーンの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
バハラ城塞
バハラは、オマーン北部にあるアフダル山の麓に位置する城塞都市の一つ。ここは12〜15世紀までオーマン中央部を支配していたバヌ・ネブハン族の中心地でもあり、イバード派というイスラム教の分派の一つで、ここは他のアラブ諸国やアフリカにも影響を与えていました。
都市は約12kmもの城塞に囲まれていて、城内は砂岩の土台に石造りの塔が築かれ、16世紀には国内でも最大規模の要塞になりました。現在も城壁や監視塔などが残り、かつての繁栄が見られるもの。
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バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群
オマーン北西部のアル・ダヒラ県イブリー市から東へ約24kmの位置にバットの遺跡があります。ここでは7つの記念碑的な石塔が発見されていて、石塔は石灰岩をモルタルを使い、積み上げていったもの。少なくとも最も新しい塔はウンム・アン=ナール文化後期(紀元前2200~2000年)に遡るもの。
バットから南東へ約22kmの位置にあるアル=アインには蜂の巣ような墳墓が並んでいて、これらは紀元前3000年初期に遡るほどに古いのが特徴。
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乳香の土地
オマーン南西部のドファール特別行政区内には、古代から何世紀にも渡って乳香の産地でもありました。新石器時代以降、紀元前1000年ころから乳香交易で繁栄し、当時の乳香は金と同じ価値を持つもので、世界遺産に登録されている4つの構成資産は、アラビア半島南部の優れた文明の足跡を示しています。
交易都市シスルのウバール考古遺跡、ホール・ルーリのサンフラム考古遺跡、サラーラのアル=バリードの考古遺跡、乳香の木々が今でも生い茂るワジ・ダウカ乳香公園の4つの構成資産は当時の様子が良くわかるもの。
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オマーンの灌漑システム、アフラジ
アフラジ(ファラジの複数形)は井戸の底を水路で繋げるという灌漑システムで、オマーンでは現在も3000ほど利用されています。ファラジは、ワジという涸れ川を水源にする「ガイリ」、山の湧き水を水源にする「アイニ」、地下水を水源にする「ダウディ」の3種類があります。
これは降水量が少ない大地においては重要なインフラで、天文観測による日時計を利用し、共同体による水源を平等に管理することで、ナツメヤシを含めた農業が可能となり、恒久的な居住できるようになったというもの。
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カルハットの都市遺跡
オマーン北東部にある中心都市スールから北へ約20km。カルハットはかつてホルムズ王国(11世紀〜1622年)の中心的な港だった場所です。ホルムズ王国は、現在のホルムズ海峡からオマーン湾の沿岸と島々で構成していた国家で、現在のイランにあるバンダレ・アッバースとホルムズ島を中心に各国との交易で栄えた国家でした。
現在は霊廟がポツンと一つだけ残る遺跡となっていますが、ここで発見された遺物はかつてナツメヤシや馬、真珠などの交易で発展し、アフリカから東アジアまでさまざまな地域と交易があった港であるということを示しています。
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番外編.アラビアオリックスの保護区 (2007年抹消)
オマーンの中央部に位置し、砂漠と丘が連なるジダット・アル・ハラシース平原にある自然保護区。かつてはウシ科オリックス属のアラビアオリックスがオマーンでは多く見られたのですが、1972年に野生種が絶滅。しかし、アメリカで飼育されていたアラビアオリックスを1882年に再導入して保護区としました。
しかし、密猟とオマーン政府の設定区域の削減が原因で、景観の保護が損なわれるとされ、2007年には登録が抹消されてしまいました。
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世界遺産マニアの結論と感想
オマーンの世界遺産は5件もあり、すべてが文化遺産というのが特徴。かつて乳香で繁栄した都市遺跡から海上帝国の足跡まで、砂漠に佇む遺跡が点在しているのが魅力です!ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。