登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2007年 |
セルビア東部にあるガムジグラードは、ローマ皇帝ガレリウスが3世紀後半から4世紀初頭にかけて彼の母ロムラのために建造された街で、都市名も彼女の名から「ロムリアーナ」と呼ばれていました。ここは彼が引退後に過ごした宮殿跡を中心に要塞や教会、浴槽施設、寺院、記念碑などの遺構が残り、すべての床面がモザイクで装飾されているのが特徴。
ここではガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ガムジグラードについて詳しくなること間違いなし!
ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナとは?
ブルガリアの国境に近いザイェチャル市に残るガムジグラード。現在は小さな村ですが、郊外にはローマ皇帝ガレリウス(260〜311年)が3世紀後半から4世紀初頭にかけて彼の母ロムラのために建造された都市遺跡が残っています。彼は当時この地が「ダキア」と呼ばれていた時代に生まれ、農民から皇帝へと大出世した人物。当時のローマ帝国はテトラルキアという4名の皇帝によって皇帝権は分割されたものの、実質的な指導者でもありました。
ここは母の名をとってロムリアーナと名付けられ、引退後はここで過ごし、埋葬されました。7世紀には当時この地へと移動してきたスラブ人によって破壊されてしまい、現在はかつて築かれた城壁と西門が残るだけではありますが、要塞や教会、浴槽施設、神殿、記念碑などの遺構が残っていて、ロムラの霊廟も現在も残っています。そして、すべての床面がモザイクで装飾されているという点が特徴。
ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ガムジグラードが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
要塞、宮殿、記念碑は、テトラルキア(4人の皇帝が分割統治した時代)の時期のもので、当時の皇帝であったガレリウス自身が設立者というローマ建築でもあり、独自の建築様式が見られるという点。
登録基準(iv)
皇帝ガレリウスによる建造物の集合体は、儀式と追悼の空間が広がっていて、これは要塞のような世俗的建造物と、霊的な世界を示す霊廟や葬祭建造物という2つにグループが分けられており、建造物がひしめく中心部の2つの建築グループの交差点に記念碑が置かれることによってより強調されているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ガムジグラードは、かつてはテトラルキア期のローマ皇帝の中でも最大の権力者であるガレリウスが建造しただけあって、儀式と追悼を目的とした街で、世俗と宗教の建造物が混在するという独自の建築物が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ダキア地方は現在のルーマニアを中心としたエリア。ここに住むトラキア系の民族がダキア人であり、ガレリウスもダキア人であったとされます。しかし、ここはローマ人だけでなく、3世紀以降は異民族が多く侵入したため、彼らの文化はほとんどが滅亡してしまいました。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。