登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2) |
登録年 | 2019年 |
ロシア北西部のヴェリーカヤ川沿いにある都市プスコフは、古くからこの地域の中心都市で、プスコフ建築派と呼ばれるグループによって12世紀から教会や聖堂、修道院などが多く建造されました。これはビザンツ様式や近隣の都市ノヴゴロドから影響を受け、ドームや張り出したポーチ、鐘楼などがある独特のもので、5世紀に渡るロシア建築の発展が分かるもの。
ここではプスコフ建築派の聖堂群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、プスコフ建築派の聖堂群について詳しくなること間違いなし!
プスコフ建築派の聖堂群とは?
ロシア北西部のプスコフ州はエストニアとの国境にあり、12世紀からプスコフ公国の中心都市として、交易で繁栄。その時期からプスコフ建築派という独自の建築様式と装飾が見られる教会や聖堂、修道院が築かれました。これらは東方正教会に属し、南方のビザンツ様式や近隣都市のノヴゴロドから影響を受け、地元の建築素材を使用したもの。それぞれの建造物には立方体の形状、ドーム、張り出した屋根のポーチ、鐘楼などがあり、周囲の壁や柵、庭園などを通じて自然と融合しているという独特のデザインです。
プスコフ建築派は15〜16世紀に最盛期を迎え、ロシアでも主要な建築様式となりました。世界遺産に登録されているのは、市内に残る10の聖堂で、これらは5世紀に渡るロシアの建築様式の発展が見られるもの。
プスコフ建築派の聖堂群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
プスコフ建築派の聖堂群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
プスコフ建築派は、ビザンツ帝国とノヴゴロドの建築様式などが組み合わされて誕生し、15〜16世紀に最盛期となりました。当時のロシア(モスクワ大公国)は広範囲に至る帝国となっていて、この地で発展した建築様式や装飾は、モスクワ、カザン、スヴィヤシュスクといった大都市の建造物に影響を与えています。市内に残る10もの教会は、プスコフ建築派初期の発展が見られ、実験的な部分やプスコフ独自の表現などが見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
プスコフは古くから繁栄した都市で、この地で発展した建築様式は、15〜16世紀にロシアという国家が拡大していく中で、各地の建築様式に影響を与えていて、この都市に残る10の聖堂はそれらのルーツ的な存在であるという点で表現されています。
ちなみに、街の北部にあるクレムリンは10世紀に遡る大聖堂がある歴史深いクレムリンではあり、著名人の墓などもがあるものの、現在の大聖堂は1699年に再建されたものであるために世界遺産としては登録されていません。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。