登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (5), (6) |
登録年 | 2012年 |
カナダ東部のミナス盆地の南部に位置するグラン・プレは、17世紀にアカディアン人(フランスからの入植者)が築いた地で、その後は農園主や現在の住民たちに引き継がれました。ここは干満差が激しい農地にヨーロッパ人入植者が適応しながら暮らしてきたという景観が広がっていて、1755年にフレンチ・インディアン戦争によって始まったアカディアン人の追放の歴史を伝えています。
ここではグラン・プレの景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、グラン・プレの景観について詳しくなること間違いなし!
グラン・プレの景観とは?
ノバスコシア州のミナス盆地に位置するグラン・プレは、フランス語で「大牧草地」という意味。ここは干満の激しい湿原が広がっていて、何世紀にも渡って堤防とアボワトーと呼ばれる独自の水門を利用して農業を行い、3世紀に渡る歴史を現在まで伝えるもの。ここはアカディア人と呼ばれるフランスからの入植者によって17世紀に築かれ、湿地帯を干拓して、1755年まで北米大陸の大西洋岸に適応しながら暮らしてきました。
しかし、フランスは長らく英国と北米の入植地を巡り争っていて、フレンチ・インディアン戦争(1754〜1763年)が発生すると、1755年にアカディア人は英国からこの地を追放させられ、彼らは北米各地へと移住したために、その後は英国系の農園主と住民によって引き継がれていきました。
グラン・プレ村と隣のホルトンビルまでに渡る遺構を含む景観が世界遺産に登録されていて、20世紀に追放されたアカディア人の敬意を表して造られた建造物や記念碑が置かれています。その中でもアメリカの詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩『エヴァンジェリン』をイメージした像は、かつてのアカディア人が暮らしていたという記憶を今に伝えるシンボル的存在。
グラン・プレの景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
グラン・プレの景観が評価されたのが、以下の点。
登録基準(v)
グラン・プレの景観は、世界でも最も高い潮汐が発生する沿岸地帯に、17世紀にアカディア人によって形成された伝統的な農業集落跡を残し、干拓地には、堤防やアボワトー、排水路など、伝統的な技術が現在も使用されてていて、豊かな土壌によって継続的かつ持続可能な農業が発展してきたという点。
登録基準(vi)
グラン・プレは、18世紀後半にアカディア人がディアスポラ(離散)したという象徴的な場所で、干拓地の景観と考古遺跡は、先住民のミクマク族と調和しながら暮らし、独自の文化を築いてきたという証拠でもあります。この地にある記念碑的建造物は、20世紀にアカディア人が英語圏の共同体との文化を分かち合うという平和的な思想のもと、彼らのルーツを示しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
グラン・プレは、今では北米各地で暮らすアカディア人の起源となる場所で、湿地帯を干拓して農業を行い、その遺構は現在でも見られ、彼らが去った後もここは彼らのルーツとして、平和の精神として記念碑などが築かれているという点で評価されています。
ちなみに、モンゴメリの小説『赤毛のアン』の舞台となったプリンス・エドワード島もこの近くにありますが、登場人物はほとんどが英国系の住民だったりするので、作品が執筆された20世紀初頭には、もう既にフランス系の住民はほぼいなかった…という時代背景もあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。