登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2000年 |
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つ。首里城に残る聖域で、国家の聖地でもありました。ところで、園比屋武御嶽石門はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは園比屋武御嶽石門がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、園比屋武御嶽石門について詳しくなること間違いなし!
園比屋武御嶽石門とは?
那覇市にある首里城の北側、歓会門と守礼門との間にある「御嶽(うたき)」。御嶽とは琉球神道の儀式を行う聖域のこと。ここは国王が各地に向かう前に拝礼したという国家の聖地でもあり、入口の石門の背後には森が広がっています。そして、琉球王国の最高神女であるノロ(祝女)であった聞得大君(きこえおおぎみ)の即位式の際もここで参拝したとされるほどに重要な聖域でした。
ここは1519年に第二尚氏の三代・尚真王によって建造され、木造の建築様式なのにもかかわらず、琉球石灰岩を使用した石造であるという独特のもの。首里城は沖縄戦の際に破壊されたため、戦後に修復されています。
園比屋武御嶽石門はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
園比屋武御嶽石門が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
琉球列島は、数世紀に渡って中国、韓国、東南アジア、そして日本との経済や文化的交流の中心地として発展し、それは現存する建造物によって示されているという点。
登録基準(iii)
琉球王国の文化は、その環境において独自に発展し、繁栄したということ。
登録基準(vi)
斎場御嶽など、琉球王国時代から続く聖地は、現在でも住民たちに自然崇拝や先祖崇拝の場として大切にされているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
園比屋武御嶽石門は、琉球王国の中でも国家の聖地であり、格式が高く、琉球神道の伝統や独自の文化が見られる場所であるという点で評価されています。
ちなみに、初代の聞得大君に就任したのは、尚真王の妹の月清。これは沖縄古来から残る「おなり神」という信仰によるもので、女性のほうが霊力が強いと考えられていて、大抵の場合、シャーマンは女性で、その兄が政治を担当するという関係性が尊重されていました。今でもその伝統が残る地域もあるんですよ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。