登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 2021年 |
大船遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つ。ここは海岸沿いの段丘に築かれた集落で、海産物の骨も残り、当時の暮らしがよく分かるというもの。ところで、大船遺跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは大船遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大船遺跡について詳しくなること間違いなし!
大船遺跡とは?
北海道函館市大船町にある縄文時代前期〜中期までの大きな集落遺跡。ここは高台の上で5200〜4000年前に人が住んでいたとされ、100を超える竪穴住居や、土抗墓は100基以上も点在。特に竪穴住居は深さ約2mを超えるものも。ここには土器や石器などが発見されていて、長期的に祭祀や儀礼などが行われていたと考えられています。
また海岸沿いの段丘にあるため、住民はクジラやオットセイの海獣類、マグロやサケなどの魚類、牡蠣などの貝類など、海産物を多く食していた一方、栗やくるみ、ヤマブドウなども食べていたことが分かっています。
大船遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
大船遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
北海道・北東北の縄文遺跡群では、土器や土偶などの遺物、墳墓、土塁、ストーンサークルなどが発掘され、これらは世界的に珍しい定住型狩猟社会の文化を示すものであるということ。
登録基準(v)
北海道・北東北の縄文遺跡群は定住地の出現から成熟期までの土地利用が見られ、縄文時代の人々は、食料が採れる川の近くや干潟、森など、農耕社会のように定住地を大きく変えることなく、自然と適応しながら狩猟採集生活を維持してきたということを示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
大船遺跡は、海岸近くの丘の上にある貝塚で、海獣や魚類の骨だけでなく、森林の食料も食べられていたことも分かり、集落跡や儀礼の場なども含めて当時の暮らしがよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、貝塚からはクジラの骨が発掘されたものの、縄文人は船でクジラを追いかけるという技術はなく、どうやらシャチに追われて漂着した近海のクジラを獲っていただけと考えられています。ちなみに、本格的なクジラ漁は室町時代から始まるのですが、縄文時代でも狭い湾がある地域なら丸木舟を使ったイルカの追い込み漁もあったそうで、このへんはまだまだ不明なところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。