イランの世界遺産「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (5)
登録年2018年

イラン南部ファールス州には、サーサーン朝ペルシャ(224〜651年)時代の3つのエリアにある8つの考古学遺跡が残っています。ここは王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世が築いた都市や建造物が点在。現在も残る建造物は自然の地形を利用していて、ローマ帝国や過去の王朝であるアケメネス朝、パルティアなどの文化的影響を受け、イスラム時代にも影響を与えたもの。

ここではファールス地方のサーサーン朝考古景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サーサーン朝考古景観について詳しくなること間違いなし!

目次

ファールス地方のサーサーン朝考古景観とは?

ビーシャープール/ファールス地方のサーサーン朝考古景観
画像素材:shutterstock

ファールス州はイラン南部に位置しています。ファールスは「ペルシャ」の語源ともなっており、紀元前1000年頃に現在のペルシャ人のルーツにあたる民族が進出した地。彼らはやがてアケメネス朝(紀元前550〜330年)を築くものの、やがて王朝は滅びますが、その後、再びペルシャ人の王朝であるサーサーン朝が建設されます。西は現在のシリアから東はインダス川に至るまでの大帝国を築き、中央集権国家でもありました。

現在のファールス州には、サーサーン朝時代に建造された要塞、宮殿、レリーフ、都市遺跡が残り、王朝の創始者であるアルデシール1世と彼の息子であるシャープール1世のものが中心となっています。都市は周囲の自然環境に合わせて計画され、やがてサーサーン朝後期やイスラム都市に影響を与えたもの。各地で建造された宗教施設は、国教であったゾロアスター教の拡大を示し、それらはイスラム時代でも使用され続けました。

登録されている主な構成遺産

フィールーズアーバード

フィールーズアーバード/ファールス地方のサーサーン朝考古景観
画像素材:shutterstock

ファールス州の州都であるシーラーズの南方に位置する町。ここは初代の王・アルデシール1世によって首都とされた都市でした。渓谷の北端には要塞であった「ドフタル城(ガルエ・ドフタル)」、「王権の象徴を授与されるアルダシール1世のレリーフ」、前王朝パルティアの最後の王アルタバス4世の戦勝記念碑「アルタバノス4世に勝ったアルダシール1世のレリーフ」が残っています。

中心部から3kmほどの郊外に位置する「シャフレ・グール」はイラン初の円形都市で、現在は拝火神殿が残ります。そして、近くに存在した「アルダシール1世宮殿」はアルダシール1世の居住地だった場所で、現在は遺構が残存。

ビーシャープール

ビーシャープール/ファールス地方のサーサーン朝考古景観
画像素材:shutterstock

ファールス州の西部に位置するカーゼルーン近郊に位置する都市で、ここはシャープール1世にちなんだ名前でもあります。「古代の都市」は最盛期は5万人も住んでいたとされ、シャープール1世はローマ皇帝を捕虜にしたことから、彼を幽閉したという宮殿跡や、ゾロアスター教の水の女神であるアナーヒターを祀った神殿跡が今でも見られます。

ビーシャプールの中心部から東へ約6kmに位置する「シャープール洞窟」は標高800mの高さに位置する洞窟で、シャープール1世の立像が置かれています。

サルヴェスターン

サルヴェスターン/ファールス地方のサーサーン朝考古景観
画像素材:shutterstock

州都シーラーズの東方にある都市で、郊外にある「サルヴェスターンのサーサーン朝時代の宮殿」は、5世紀にバハラーム5世(在位420〜438年)が建造したとされる宮殿跡。これはサーサーン朝時代の「宮殿」と訳されているものの、実際はゾロアスター教の拝火神殿であったと考えられています。

ファールス地方のサーサーン朝考古景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

フィールーズアーバード/ファールス地方のサーサーン朝考古景観
画像素材:shutterstock

サーサーン朝考古景観が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ファールス地方のサーサーン朝考古景観は、過去の王朝であるアケメネス朝とパルティアの文化や儀礼的な伝統を受け、それらはフィールーズアーバードやビーシャプールの建築や芸術の面で見られます。ビーシャプールでは、ローマの芸術や建築の影響を受け、シャフレ・グールの円形都市の設計はイスラム時代に影響を与えたものであるという点。

登録基準(iii)
ファールス地方のサーサーン朝の建造物は、王朝内のゾロアスター教の普及と確立を示すもので、特にサルヴェスターンにはゾロアスター教の拝火神殿があったとされ、後に初期イスラム時代の施設へと発展したと考えられています。フィールーズアーバードとビーシャプールは、サーサーン朝時代に儀式が行われたとされ、王朝の権力と階層社会が見られるということ。

登録基準(v)
ファールス地方のサーサーン朝考古景観は、王朝の文化の中心地で、自然の地形を利用した効率的なシステムであり、山や川などの周囲の天然資源を活用することによって多様な都市構造や建築物、浮き彫りなどが形成され、それは水が管理された当時の居住地と記念碑的な建物が景観に溶け込んでいるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ファールス地方にある3つのエリアは、お隣のローマや過去のイランの王朝・アケメネス朝やパルティアなどの文化や儀礼の影響を受け、自然の地形を利用した都市設計が見られ、これはイスラム時代にも引き継がれたという点で評価されています。そして、宗教施設跡はサーサーン朝の国教であったゾロアスター教の普及を示すものであるという点で評価されています。

ちなみに、サーサーン朝の「サーサーン」というのは、アルデシール1世の祖父である人物から由来し、彼は神官であったとされていますが、意外にもルーツがわかっていません。最近の研究だと、サーサーンは「神の名前」とされていて、彼は外国からやってきたサーサーンを信仰していた神官であるためにそのように呼ばれたという説も。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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