ドイツの世界遺産「エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(4)
登録年2023年

ドイツの中央部の都市エアフルトは、11世紀からユダヤ人街が存在し、1349年の迫害まで大いに発展しました。その後、旧市街にあったシナゴーグは倉庫やレストランとして使用されたために1000年に渡ってこの地に残り続け、現在は当時のユダヤ人共同体の様子が分かる資料となっています。

ここではエアフルトの中世ユダヤ人関連遺産がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産について詳しくなること間違いなし!

目次

エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産とは?

旧シナゴーグ(礼拝堂)/エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産
画像素材:shutterstock

ドイツ中央部のテューリンゲン州の州都・エアフルトは、中世から繁栄した交易都市。11世紀になると旧市街にはユダヤ人街が築かれました。現在も中心部に残る「旧シナゴーグ(礼拝堂)」は、最も古い部分が11世紀末にまで遡るという建造物。13世紀になると、西側のファサードにはランセット窓や幾何学模様などが加えられ、現在見られる大部分はこの時期に増築されたもの。

しかし、1349年になると黒死病の流行によりユダヤ人の排斥運動により、彼らの財産と土地が没収され、その後はエアフルト市が承認に売却。内部は倉庫として改築され、礼拝ホールは壁で分断されてしまいました。19世紀になるとレストランやボーリング場として利用されるも、1980年代にここがかつてのシナゴーグであるという可能性が出てくると、1992年から2007年まで調査が行われ、現在は中世のユダヤ人の歴史にまつわる博物館として改装・保存されています。

他にもエアフルトには、ミクワー(ユダヤ教における風呂)の遺構やユダヤ人によって所有されていた「石造りの家」などが登録。

エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

旧シナゴーグ(礼拝堂)/エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産
画像素材:shutterstock

エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
旧シナゴーグは、11〜14世紀にかけてユダヤ教建築の発展が見られ、その後は倉庫やレストランに改築されたため、そのことが認識されず、ナチス・ドイツの支配時にも気づかれずに残されたもの。ミクワーは、中世初期のユダヤ人の儀式的浴場で、これは13世紀に遡るほど古く、他では例がありません。そして、石造りの家は13世紀の部分が今も残り、中世ユダヤ人の世俗的な建築物の例であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

旧シナゴーグを含め、エアフルトにはユダヤ人の大きなコミュニティが存在したことから、宗教的建築物や世俗的な建物を含めてユダヤ人の資産が多く見られ、彼らの当時の暮らしがわかるという点で評価されています。そして、これらはユダヤ教とキリスト教の共存・対立がヨーロッパの文化と社会の発展へと繋がったというドイツの歴史認識の責任を果たすものであるというのもポイント。

ちなみに、エアフルト大学では、宗教改革を行ったマルティン・ルターが学生時代に過ごした地としても有名。彼自身は法律家を目指していたのですが、エアフルト近郊で激しい雷雨にあった時に聖アンナ(マリアの母)に祈ったことから修道士を志すようになったのです。この街で落雷にあわなければ…宗教改革はなかったかもしれませんね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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