登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4), (6) |
登録年 | 2015年 |
エフェソスのアルテミス神殿は「エフェソス(エフェス)」の構成資産の一つ。かつては「世界の七不思議」の一つにされるほど、巨大で豪華絢爛な神殿であったとされますが、現在は遺跡となっています。ところで、アルテミス神殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではアルテミス神殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルテミス神殿について詳しくなること間違いなし!
エフェソスのアルテミス神殿とは?
トルコの西部に位置するセルチュクにあり、エフェソスで崇拝されていた月の女神であるアルテミスを祀った神殿。もともとは紀元前700年頃に建設されるも、紀元前550年に再建されました。
高さ18m、幅55m、奥行きが115mと、広大な神殿であったとされ、美しい彫刻や金銀が施された柱など、豪華絢爛な建築物であったと歴史家たちが記録していました。内部には、高さ15mものアルテミス像があり、黄金や宝石で飾られ、高名な彫刻家たちの作品が並んでいたとも述べられています。
さらに紀元前356年に放火によって破壊され、紀元前323年には再度建て替えられるも、3世紀にはケルマン系の民族であるゴート人によって破壊。神殿は当時の地中海世界で広く知れ渡り、世界の七不思議の一つに数えられるほど。
その後、19世紀後半になるとイギリスの大英博物館の考古学探検隊によって神殿跡が発見されます。現在は廃墟となっていて、いくつかの残骸から柱を組み立てられているものの、当時の姿を想像するのは難しいといった状態。
エフェソスのアルテミス神殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アルテミス神殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
エフェソスには、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代の各時代の建造物が残っているということ。
登録基準(iv)
エフェソスは、ギリシャ時代から中世まで港の位置が変わったように、地形の変化によって居住地の風景が変わるという例であるという点。
登録基準(vi)
エフェソスでは、2回もの公会議が行われるなど、キリスト教世界における重要な事項が決まった土地。ここは、アルテミス信仰から現代のキリスト教まで、アナトリア半島における宗教の足跡が残る遺跡であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アルテミス神殿は、エフェソスでも有名な神殿であり、現在は遺構となってしまいましたが、当時の地中海世界でも繁栄を誇った都市であるということがよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、紀元前356年に神殿を放火したのは、ヘロストラトスという若い羊飼いであったとされ、彼は「歴史に名を残すために放火した」と犯行を認めたそう。しかし、結果的に彼は死刑となり、歴史からその名前を消すという「記録抹殺系」という重い罪で亡くなりました。とはいえ、歴史家たちによって、この事件は記録されたため、現在でも犯人は彼であるというのはよく知られるところ。
そして、神殿が消失した日は、世界帝国を築いたアレクサンドロス大王が生まれた日であったとされ…これは偶然なのか、果たして!?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。