ペルーの世界遺産「マチュ・ピチュの歴史保護区」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分複合遺産
登録基準(1), (3), (7), (9)
登録年1983年

マチュ・ピチュは、ペルーの東側、アンデス山脈に囲まれた標高2430mの位置にある都市遺跡。なぜ建設されたかは今でもはっきりしないのですが、敷地内に残る巨大な神殿や灌漑施設など、インカ帝国の技術力の高さが伺えるもの。そして、周囲は手つかずの自然が残されていて、絶滅危惧種を含む動植物も見られるため、複合遺産として登録されています。

ここでは、マチュ・ピチュの歴史保護区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マチュ・ピチュについて詳しくなること間違なし!

目次

マチュ・ピチュの歴史保護区とは?

画像素材:shutterstock

ペルーのクスコ県に属していて、アンデス山脈とアマゾン盆地の間に位置するマチュ・ピチュの都市遺跡。マチュ・ピチュとは、ケチュア語で「年老いた峰」を意味していて、隣のワイナ・ピチュ(若い峰)の間に築かれた都市遺跡一帯を、一般的に「マチュ・ピチュ」と呼びます。マチュ・ピチュ自体の標高は2795mもあるのですが、都市遺跡の部分は2430m程度。

インカ帝国は文字を持たない文明だったため、正確な年数は分かりませんが、石積みの年代を測定すると、おそらく15世紀中頃に築かれたもの。実際に都市として機能したのは1世紀程度とされ、16世紀にインカ帝国がスペインに征服されると都市は放棄されました。1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムは、偶然この都市を発見。彼はこここそが、インカ帝国最後の首都であり、財宝がたくさん持ち込まれたという伝説が残る「ビルカバンバ」と考えましたが、現在はその説は否定されています。

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それでは、マチュ・ピチュはどんな目的で作られのか?今でも決定的な説はありません。ただ遺跡には200もの建造物が残る計画都市であったのは事実です。総面積5平方kmにも広がる遺跡は、北西部に神殿や宮殿が並び、南西部には段々畑が広がるという構造。段々畑では、トウモロコシやジャガイモ畑が作られ、高地であるのに感慨設備もしっかりと整備されていました。そして、インカ帝国は製鉄技術や車輪を持っていないにもかかわらず、巨大な神殿や宮殿も残存。マチュ・ピチュはインカ帝国の技術力の高さを証明する遺跡でもあるのです。

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登録されているエリアは、全体で326平方kmにも及び、周囲の自然環境もまた評価されています。ここはアンデス山脈でも東側に位置しており、比較的標高が低いエリア。高地には雲霧林、低地はジャングルが広がっていて、アンデスとアマゾンの2つの生態系が見られます。中でもアンデスネコやメガネグマなど、絶滅危惧種も多く住んでいるというのも特徴。他にはアンデスイワドリやオセロットなど、珍しい動物も多く生息しています。

構成されている主な構成遺産

大塔(太陽の神殿)

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太陽の神殿というのは、東側の壁の窓が冬至に日の出の方向を示していることから名付けられたもの。これは暦を知るために建造されたと考えられています。地下の洞窟からはミイラも発見されたことから、王族の墓であったという説があるものの、ハッキリとしたことはわかっていません。

インティワタナ

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遺跡でも最も高い位置にある花崗岩の彫刻。インティワタナとは「太陽をつなぐもの」という意味。これは日時計であり、太陽に関する儀式を行った場所として考えられています。

王女の宮殿

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大塔の隣にある建造物で、インカ帝国時代の建造物としてはよくあるものですが、マチュピチュでは珍しい2階建ての建造物。ちなみに、ここに王女が住んでいたという証拠はないものの、石積みも立派であるため、高貴な人が住んでいたと考えられています。

コンドルの神殿

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コンドルが翼を広げたような平石が残るために、コンドルの神殿と呼ばれます。その後ろには、半地下室があり、ここは牢獄として使用されていたと考えられるもの。

マチュ・ピチュの歴史保護区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

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マチュ・ピチュが評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
遺跡は、インカ文明の芸術、都市・建築技術、農耕技術など、すべてにおける傑作であるという点。

登録基準(iii)
遺跡は、インカの人々の宇宙観、日常の暮らし、社会構造、宗教観などが見られ、彼らの文明がここに存在していたことを示すものであるということ。

登録基準(vii)
マチュ・ピチュの歴史保護区は、大自然に囲まれた場所にあり、自然とともに人間が暮らしたという例を示すものであるという点。

登録基準(ix)
マチュ・ピチュの歴史保護区は、アンデス山脈とアマゾン盆地の間に位置しており、固有種を含めた動植物も多く暮らしているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

マチュ・ピチュはどういった遺跡であったか、今でも研究は続いていますが、ここではインカ帝国が全盛期だった時代の建築技術や農耕技術、そして彼らの宗教観などが見られるという点で評価されています。そして、周囲エリアには手つかずの大自然が広がり、そこには固有種や絶滅危惧種も見られるというのもポイント。

そして、ハイラム・ビンガムが求めていたビルカバンバは1964年にマチュ・ピチュよりも北西約1000kmの地点でビルカバンバと思われる場所が発見されました。まだ観光地とはなっておらず、現在でも調査が続いています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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