登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (6) |
登録年 | 1979年 |
ギザの三大ピラミッドは「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」の構成資産の一つ。第4王朝のファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドが並ぶことから、三大ピラミッドと呼ばれます。ところで、ギザの三大ピラミッドはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではギザの三大ピラミッドがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ギザの三大ピラミッドについて詳しくなること間違いなし!
ギザの三大ピラミッドとは?
首都カイロ市の南西部にあるギザの台地には、第4王朝(紀元前2613年頃〜紀元前2498年頃)のファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドが続き、これらは三大ピラミッドと呼ばれています。
この地はクフ王(在位:紀元前2589年〜紀元前2566年頃)によってピラミッドが建造されるまでは何もなかったとされていて、彼はこの地にマスタバと呼ばれる墓や参道、神殿、王妃たちのピラミッドなどが建造していきました。彼の息子であるカフラー王、彼の孫であるメンカウラー王によって、さらにネクロポリスが拡大していったものの、メンカウラー王以降は、巨大なピラミッドはこの地に建造されなくなりました。
クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)
クフ王のピラミッドは、最も北側にあり、ギザの大ピラミッドとも呼ばれ、世界で最も高いピラミッドでもあります。年代ははっきりとはしていませんが、紀元前2700年〜紀元前2500年ころに建造されたとされ、化粧岩に囲まれた、光り輝く四角錐の建造物でした。現在は化粧石は剥がされ、高さは138.5mとなっています。
実は他のピラミッドと比べると、内部構造が独特で、一般的にピラミッドの玄室は地下に配置されるものですが、内部には、下から地下室、女王の間、王の間という3つの空間や通路や大回廊など、非常に複雑となっています。
これだけ大きなピラミッドを築いたクフ王は、第4王朝の第2代の王であり、絶大な権力を持っていたとされるものの、彼の正式な記録はほとんどなく、謎の多い人物です。
カフラー王のピラミッド
カフラー王ピラミッドは中央に位置します。現在の高さは約136mとなっていて、頂上付近には化粧石が一部残っているというのが他のピラミッドとの違い。三大ピラミッドの中でも最も高い位置に立っているので、高さも最大と思われていますが、実はクフ王のピラミッドに比べると約3mほど低いのです。
ピラミッドを建造したと考えられているのは、クフ王の息子の一人、カフラー王(前2558年頃〜前2532年頃)。内部はクフ王のピラミッドと比べて複雑な構造はなく、2つの通路と玄室があるのみ。
メンカウラー王のピラミッド
メンカウラー王ピラミッドは南西に位置します。現在の高さは62mと、他のピラミッドと比べると半分ほどの高さで、これは古代ギリシャ世界では祖父であるクフと父であるメンカウラーは暴君であり、彼自身は善政を行ったため、ピラミッドも小規模にしたという伝承ではありますが、ハッキリとしたことは分かっていません。
12世紀にアイユーブ朝のスルタンによって破壊が明示され、切石が徐々に除かれると、やがて北面に大きな垂直の裂け目ができるも、破壊はできませんでした。
ギザの三大ピラミッドはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ギザの三大ピラミッドが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
サッカーラの史上初のピラミッドや4000年以上の歴史を誇るギザの大ピラミッドなど、人類史に残るピラミッドが集まっているという点。
登録基準(iii)
ピラミッドはエジプト文明の形成にさかのぼるシンボルであり、この地に存在した王朝の権力と組織の象徴であったということ。
登録基準(vi)
メンフィスは、プタハ信仰の中心地というだけでなく、芸術などが盛んな美しい都であったということが分かるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ギザの三大ピラミッドは、エジプトの他の墓地遺跡の中でも、最もスケールが大きく、4000年の歴史を誇り、第4王朝の栄光の時代が今でも見られるという点で評価されています。
ちなみに、ギザの三大ピラミッドの配置がオリオン座の三ツ星を模していて、古代エジプトの人々はオリオン座の配置でピラミッドを建造していったという説が一時流行しましたが…星の並び順や光量などが異なることから、基本的にこの説はグラハム・ハンコックなどの作家の独自の考えであり、学会では否定されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。