登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(3),(6) |
登録年 | 1979年 |
ルクソール神殿は「古代都市テーベとその墓地遺跡」の構成資産の一つ。現在のルクソールの中心地にあり、北側にあるカルナックのアメン神殿の副神殿として新王国時代に築かれたもの。ところで、ルクソール神殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではルクソール神殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ルクソール神殿について詳しくなること間違いなし!
ルクソール神殿とは?
ルクソール市内の中心に位置する神殿で、ここは北へ約3kmの位置にあるカルナック神殿の副神殿として、アメンホテプ3世(紀元前1390年〜紀元前1352年頃)によって建造されたもの。後にラムセス2世(紀元前1279年〜紀元前1213年頃)の時代に高さ25mのオベリスクや巨大な坐像が加えられました。
ここも最高神アメン神をまつるために建造されたもので、南北に長い構造になっており、かつては祠堂が存在しました。カルナック神殿とは参道で結ばれていて、道の両側には1200ものスフィンクスの像が無数に並んでいて、現在は復元されています。
ローマ時代には神殿は要塞となり、基地として利用されてしまいます。エジプトがイスラム化すると、周囲に人々が暮らしはじめ、その頃には廃墟となっていたために、13世紀にはモスクが建造されました。モスクは現在も敷地内に残っています。
かつては塔門の入口にあったオベリスクは対になっていたものの、19世紀にフランスのパリへ運ばれ、現在はコンコルド広場にあることでも有名。パリに運ばれたものは「クレパトラの針」とも呼ばれていますが、クレイパトラとは関係はありません。
ルクソール神殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ルクソール神殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
テーベに残る神殿や葬祭殿、墓地に関する遺跡は、人類の創造的資質を示すものであるという点。
登録基準(iii)
テーベの古代都市の名残は、エジプト中王国・新王国の文明の存在を示すということ。
登録基準(vi)
神殿にはアメン・ラー神の信仰があり、墓地遺跡には古代エジプトの人々の死後の世界に対する思想などが見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ルクソール神殿は、かつてテーベと呼ばれた時代のルクソールでもカルナックに次ぐ重要な神殿で、新王国時代のエジプトの繁栄と当時の人々の信仰が見られるという点で評価されています。
ちなみに、アメン神は古代エジプトでは非常に人気のある神で、アメン大神殿の司祭団は、ファラオに対抗できるほどの勢力を持っていたのです。それもあり、ファラオの名も「アメンの子」という意味で、名前に付属することが多いのが特徴。有名なのはツタンカーメンで、もともと父が信仰していたアテン神から「トゥトアンクアテン」と名付けられていたのですが、父の死後はアメン神の信仰を復活したために「トゥトアンクアメン」と改名したほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。