登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1982年 |
ボーボリ庭園は「フィレンツェ歴史地区」の構成資産の一つ。街の名門・メディチ家が作庭した庭園で、芸術家たちの美しい建築物が並ぶというのが特徴。ところで、ボーボリ庭園はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではボーボリ庭園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ボーボリ庭園について詳しくなること間違いなし!
ボーボリ庭園とは?
アルノ川の南側に位置する、フィレンツェの名門・メディチ家が作庭した庭園。ここは4万5000平方mもの敷地を誇り、コジモ1世(1519〜1574年)が肺結核の妻の療養の場所として16世紀に築いたもので、17世紀に完成しました。ここはイタリア式庭園の中でも最初期の作品の一つでもあります。1766年に一般公開。
敷地内にはさまざまな建築物があり、芸術家ベルナルド・ブオンタレンティが彫刻や装飾などを担当したことから、まるで野外美術館にようになっています。ピッティ美術館の近くには円形劇場があり、古代エジプトのオベリスクなどがあるのが特徴。丘にはネプチューンの噴水が設計されていて、古代ギリシャの神であるネプチューンをモデルとした広大な池でもあります。他にも彫刻などが展示された洞窟なども点在。
ボーボリ庭園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ボーボリ庭園が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
フィレンツェの建造物や美術作品は6世紀以上に渡って築かれ、これらは人類の創造的な傑作であるという点。
登録基準(ii)
レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロという2人の天才を育てたフィレンツェは、ルネサンス生誕の地の一つであり、ヨーロッパ全体に影響を与えたものであったという点。
登録基準(iii)
フィレンツェの優雅な宮殿や邸宅は中世とルネサンス期に栄えた商業都市だったということを証明するということ。
登録基準(iv)
ヨーロッパでも有数の経済都市であるフィレンツェは14〜17世紀にかけて壮麗な建造物が多く作られたということ。
登録基準(vi)
コジモが設立したプラトン・アカデミーなど、フィレンツェはルネサンスの概念が生み出された都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ボーボリ庭園は、メディチ家のコジモ1世が妻のために築いたことから、まるで庭園そのものが美術館のよう。優雅な建築物が並び、当時の繁栄が見られるという点で評価されています。
ちなみに、イタリア発祥のジェラートは、空気の含有率を減らして濃度を高めるというものですが、実はベルナルド・ブオンタレンティがレシピを考えたという説もあります。彼は芸術という面だけでなく、さまざまな面で活躍した万能の天才でもあったのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。