登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4),(5) |
登録年 | 1995年 |
ペーナ宮殿(ペナ宮殿)は「シントラの文化的景観」の構成資産の一つ。19世紀に大幅に改築された王家の夏の離宮で、贅を尽くした幻想的な装飾はロマン主義の傑作。ところで、ペーナ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではペーナ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペーナ宮殿について詳しくなること間違いなし!
ペーナ宮殿とは?
シントラはイベリア半島の最西端に位置するエリアで、ここは丘陵地帯に森林に覆われた花崗岩の小高い山々が続いています。丘の上に位置するペーナ宮殿は、ここは国王ジョアン2世(1455〜1495年)の時代に建造された修道院が原型。しかし、18世紀の地震で廃墟となってしまい、一方、礼拝堂などは無事ではあったものの、長らく放置されていました。
19世紀に女王マリア2世の王配となるフェルディナンド2世(1816〜1885年)が廃墟を訪れ、彼はここを気に入り、宮殿に改装されたもの。
フェルディナンド2世はゴシック様式やルネサンス様式、イスラム様式などさまざまな要素が入ったユニークな宮殿に仕上げ、やがてここは中世の世界を理想としたロマン主義の代表作となりました。宮殿内は贅を尽くした装飾が見られ、回廊や食堂、時計塔、テラスなど、ユニークな装飾が施された建造物が続いています。
こちらは王家の夏の離宮として利用されていて、それ以外の時期は一般に公開。19世紀以降に建造されたタイルの独特の外装や、内部にはしっくり細工やだまし絵の壁などが続き、今もそのまま残されています。
ペーナ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ペーナ宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
19世紀のシントラはヨーロッパのロマン主義建築の中心地となり、ゴシック、ルネサンス、イスラム風など、さまざまな要素が加えられ、地元の建築様式や東洋の建築様式などが組み合わさったものであったという点。
登録基準(iv)
シントラに残る宮殿や庭園は、さまざまな文化が組み合わさリ、異国情緒が残っていて風景に溶け込むように作られているということ。
登録基準(v)
シントラに残る宮殿や庭園には、メキシコやオーストラリアの植物などが栽培されていて、周囲の景観に溶け込むような設計は、ヨーロッパ全体の景観デザインに影響を与えたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ペーナ宮殿は、シントラに建造されたロマン主義建築の中でも傑作であり、さまざまな建築様式が集約され、周囲の景観に溶け込むように設計されているという点で評価されています。
ちなみに、フェルナンド2世はウィーン出身であったにもかかわらず、マリア2世の死後はスペイン国王のオファーがあったものの、「ポルトガルの独立が保証されるなら」と答えたために即位しませんでした。その後、彼の家系であるブラガンサ=コブルゴ家が王政廃止まで、ポルトガル王家を統治したという愛国心あふれるエピソードがあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。