登録区分 | 複合遺産 |
登録基準 | (3), (6), (7), (9), (10) |
登録年 | 2024年 |
テ・ヘヌア・エナタは、南太平洋のフランス領ポリネシアに位置するマルキーズ諸島を指していて、先住民の言葉で「人間の土地」という意味。ここは太古にアジアから渡ってきたポリネシア人が長い年月を経て辿り着き、今でも残る建築物や風習などは、彼らによって独自の文化が築かれてきたことを示しています。
ここではテ・ヘヌア・エナタがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、テ・ヘヌア・エナタについて詳しくなること間違いなし!
テ・ヘヌア・エナタ(マルキーズ諸島)とは?
マルキーズ諸島(マルケサス諸島)は、南太平洋に浮かぶ12の火山島群で、これらはフランス領ポリネシアに属しています。ここは赤道に近く、オーストラリア大陸から約5700km、アメリカ大陸から約6000kmと、世界でも最も孤立した島群の一つで、陸地面積は1050平方kmであるにもかかわらず、海洋面積は70万平方kmにもなって広がっています。
最大の島はヌクヒバ島で、画家のゴーギャン(1848〜1903年)が最期を過ごしたヒバオア島があることでも有名。ここは地理的に孤立した環境にあるため、多くの固有種が存在していて、中には一つの島や山地だけに生息する種も生息するというほど。
この島を発見したポリネシア人は、もともとは4000年以上前に台湾で暮らしていた人々で、後に東南アジアからメラネシアへと移動をしながら、植物や動物の育成法を学び、優れた航海術によって、約2000年前にこの地へと辿り着きました。ここはポリネシア東部でも最も古いポリネシア人の分散地であり、島で暮らしていた人々は後に北のハワイや東のイースター島、そして、南西のニュージーランドへと移住。
住民たちは太平洋の開拓によって豊かな知識を身に着け、島に残る700もの遺跡にある記念碑や彫刻からもそれが見られるもの。ここは16世紀にスペイン人探検家によって発見され、当時は10万人は暮らしていたとされています。島は探検家がかつて暮らしていたペルーの副王夫人にちなんで「侯爵夫人(マルキーズ)」と名付けられました。19世紀にフランス領となり、人口が激減するも、20世紀になると持ち直し、現在も島では入れ墨や建築、彫刻技術など、独自の文化が見られます。
テ・ヘヌア・エナタ(マルキーズ諸島)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
テ・ヘヌア・エナタが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ポリネシア人は、16〜17世紀にはすでにこの地で定住していたという証拠があり、神を表現した石造りの彫像ティキなど、祭祀が社会の中心であったと考えられ、各島には岩石彫刻や岩絵など、多くの人々が暮らした証拠を示すもの。しかし、19世紀には病気や戦争、飢餓によって文化は絶滅寸前でしたが、現在は8000人以上の人口を抱え、1970年代から伝統文化が再び脚光を浴びるようになり、文化が守られるようになってきているという点。
登録基準(vi)
これらの遺産はポリネシア人が海路で到達し、孤立した島々で発展した文明がマルケサス諸島を存在してきたということを示しているということ。
登録基準(vii)
島々には標高1000m級の山々から、落差の大きな滝や海食崖、渓谷など、ゴーギャンといった世界的にも有名な芸術家にインスピレーションを与え、その景観は今でも保存されているという点。
登録基準(ix)
マルキーズ諸島は、海岸地域から標高1000〜1200mの山地までさまざまな自然環境があり、植生は約314種が見られ、そのうち174種も固有種であり、独自の進化も見られます。一方、鳥類や無脊髄動物も固有種が見られ、昆虫は数百の固有種も生息。海域は太平洋でも3番目に固有種が多く見られるエリアで、ここは種の進化と種分化を理解できるほどであるということ。
登録基準(x)
島によって自然保護となっている地域もあり、ほぼ手つかずの森が広がっています。ここは海流や海面温度が乱れることによって、植物プランクトンが多く発生し、個体数の密度が高いのが特徴。よって、多くの種が生息できるようになっていて、さまざまな種のクジラやサメが多く見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
テ・ヘヌア・エナタは、2000年前にアジアにルーツを持つポリネシア人が古くから移動をしつつ、知識を蓄えながら暮してきたという遺構が今でも見られます。そして、世界でも孤立した島々であることから、手つかずの自然が多く見られ、固有種が多く生息するという点でも貴重です。
ちなみに、ゴーギャンが島に暮らし始めると、自宅にポルノ写真を飾っていたために「快楽の館」と名付け、住民が多く訪れるようになったことから、彼は少し「問題児」扱いだったそう。さらには島に暮らす憲兵と揉めに揉め、名誉毀損で訴えられ、それを控訴するために資金集めを始めたタイミングで亡くなってしまいました。せっかくの南国暮らしだったのにストレスが多かった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。