登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1985年 |
ペナン南部に位置するアボメイは、かつて奴隷貿易で繁栄したアボメイ王国(1600〜1900年頃)時代の首都であり、歴代の12人の王たちが築いた12の王宮が残ります。特にゲゾ王とグレレ王の2つの王宮は博物館になっていて、当時の風習を示す壁画や彫刻などが見られるもの。
ここではアボメイの王宮群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アボメイの王宮群について詳しくなること間違いなし!
アボメイの王宮群とは?
ペナン南部には、かつて17世紀から奴隷貿易で繁栄したアボメイ王国(ダホメ王国)があり、軍事力で周辺国を圧倒していたアフリカ西海岸でも屈指の大国でした。アボメイの王たちは、戦利品として住民たちを奴隷としてアメリカ大陸に輸出することで莫大な富を得ることで繁栄。現在のアボメイは、かつての首都であり、南北の2つのエリアに分かれていて、12もの宮殿が点在しています。
特に全盛期の王であった9代のゲゾ王と10代のグレレ王の宮殿は博物館となっていて、そこには人間や動植物、神話、習慣などが描かれたレリーフが彫られています。館内には王たちのシンボルであったレリーフや王冠などが展示。アフリカでは珍しく、中央集権国家であったため、よく組織された軍隊があり、王宮のレリーフには女性兵士の集団「アマゾン」が見られます。
危機遺産
1984年に竜巻がアボメイを襲い、王宮が大きな損害を受け、1985年に世界遺産になったと同時に危機遺産になりました。世界遺産基金の支援によって復旧作業が続けられ、2007年に危機遺産リストから除去されました。
アボメイの王宮群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アボメイの王宮群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
アボメイの王宮群は、17世紀から20世紀初頭まで繁栄したアボメイ王国の輝かしい栄光を示し、ベナンの歴史や文化においては重要な価値があるという点。
登録基準(iv)
アボメイの王宮は、それぞれ壁を囲いのように覆って中庭が築かれ、それが繋がるように歴代の王が増築を続けていました。これは「王国は常に大きくなる」という王国の理念を実現したユニークな建造物であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アボメイの王宮は、歴代の王が壁同士で繋がるように築かれた要塞のようなユニークな王宮群で、かつて西アフリカ海岸でも繁栄したアボメイ王国の輝かしい時代の足跡が見られるという点で評価されています。
ベナンというと、90年代後半にテレビ番組でよく登場したゾマホンさんの出身国として有名。実は彼は貧しい家の出身であるにもかかわらず、勉強に勉強を重ね、日本に留学するも、工場で働いていた時に眠気で左手の人差し指を切断してしまうほどに苦労をされた方ですが、今や外交官になったり、NPO法人の運営者だったりと、大活躍しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。