登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (1), (3), (6) |
登録年 | 1979年 |
サフラー王のピラミッドは「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」の構成資産の一つ。アブシールと呼ばれるネクロポリスの中でも小規模なピラミッドですが、葬祭殿は非常に豪華なものであり、後の時代の基準となりました。ところで、サフラー王のピラミッドはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではサフラー王のピラミッドがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サフラー王のピラミッドについて詳しくなること間違なし!
サフラー王のピラミッドとは?
アブシールはメンフィスから約8km。首都メンフィスの役人のネクロポリスとして使用されていたエリア。ここには第5王朝時代(紀元前2498年頃〜紀元前2345年頃)のファラオのピラミッドが5つほど残っています。2代目のサフラー王(紀元前25世紀初頭)のピラミッドは、階段状のピラミッドであったとされ、47mの高さがあったとされますが、ほとんどが荒廃。ギザのものよりもかなり小型となっています。
しかし、彼の治世はエジプト古王国でも絶頂期でもあったとされていて、各地で彼の名前と姿が刻まれたレリーフなども発見されていて、ピラミッドよりもむしろ葬祭殿の建造に力を入れていたとされています。ここは推定約1万平方mの広さがあったとされ、エジプト初のヤシ柱の列柱が採用されたり、さまざまなレリーフがあったとされ、葬祭殿を含めた全体的なレイアウトは、後の時代の基準となるほどでした。
サフラー王のピラミッドはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サフラー王のピラミッドが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
サッカーラの史上初のピラミッドや4000年以上の歴史を誇るギザの大ピラミッドなど、人類史に残るピラミッドが集まっているという点。
登録基準(iii)
ピラミッドはエジプト文明の形成にさかのぼるシンボルであり、この地に存在した王朝の権力と組織の象徴であったということ。
登録基準(vi)
メンフィスは、プタハ信仰の中心地というだけでなく、芸術などが盛んな美しい都であったということが分かるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
サフラー王のピラミッドは、人類史において貴重な建造物であり、エジプト第5王朝時代の権力とその社会組織がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、サフラー王に関連した建造物はまだ発見されていないだけで、実は「ラー神の平野」と呼ばれる巨大な太陽神殿を築いたことで知られます。しかし、この太陽神殿は今でも位置が分かっておらず、それが発見されたら大発見ではあるでしょう。これらは建築素材に使われてしまったのか、それとも砂漠のどこかに眠っているか…果たして?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。