登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (4) |
申請年 | 2024年 |
大切山坑(おおぎりやまこう)は「佐渡島の金山」の構成遺産の一つ。ここは江戸時代初期に掘られた坑道で、400年前の採掘現場がそのまま残る場所でもあります。ところで、宗太夫坑はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは大切山坑がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大切山坑について詳しくなること間違なし!
大切山坑とは?

相川金銀山は島の西部に残る金山で、16世紀末に開発が始まりました。現在では「史跡 佐渡金山」として公開されています。大切山坑は、相川金銀山の中でも外れに位置する坑道。1647年に完成したもので、江戸時代の山師(採掘事業を行う人物)・味方与次右衛門(みかたよじえもん)によって採掘されました。14年もの歳月をかけて400mの坑道を掘り進め、奥では大鉱脈を発見したとされています。
坑道内は江戸時代だけでなく、明治時代に採掘された跡も残っています。その中でも、2本の並行坑道は空気不足を防ぐために築かれ、他の坑道では見られないことから非常に珍しいもの。普段は非公開となっていますが、史跡 佐渡金山を運営するゴールデン佐渡のガイド付山師ツアーで訪れることが可能です(4〜11月のみで要予約)。
大切山坑はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
大切山坑が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
佐渡島は南と北の2つの山脈に1つの沖積平野で隔てられるという地形であり、島に残る金と銀の鉱床は、熱水が地表に上昇し、地殻変動により、海底に沈んだ後、再び隆起したという構造です。そのような環境のなか、砂金の鉱床は、西三川地域で採掘され、後に火山岩の風化により鉱脈が露出し、相川・鶴子地域で地下採掘が行われました。地下と地上に残る遺構は、採鉱のための社会・労働組織が反映されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
大切山坑は、江戸時代初期から使用されていた坑道の跡であり、当時の様子がよく分かるもの。近世から近代まで優れた採掘技術が見られ、東アジアの鉱山技術だけでなく、世界経済にも大きな影響を与えたという点で評価されています。
ちなみにガイド付き山師ツアーでは、大切山坑と合わせて「無名異坑」もセットで訪れます。ここは佐賀特産の「無名異焼」の原料を採掘した坑道で、酸化鉄を含んだ赤土(無名異土)が見られるエリアをゆくのがハイライト。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。