登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (2),(3),(4),(5),(6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2007年 |
本薬師寺跡(ほんやくしじあと)は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。かつては藤原京の中でも大規模な伽藍を備える広大な寺院でしたが、平城京遷都後に現在の奈良市にある薬師寺へと移転したために現在は遺構だけが残っています。ところで、本薬師寺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは本薬師寺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、本薬師寺跡について詳しくなること間違なし!
本薬師寺跡とは?
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奈良県橿原市にある飛鳥時代の寺院跡。680年に天武天皇(?〜686年)の勅願(勅命による祈願)により創建され、もともとは病気になった皇后のために建立したと伝えられています。実際に完成したのは、飛鳥から藤原京へと遷都した後で、698年の文武天皇(683〜707年)の時代。
藤原京の中でも南西部に位置し、718年に平城京内に移転されたことからその後は本薬師寺(もとやくしじ)と名称を変更。伽藍にあった建造物はそのまま移築されたというのが通説でしたが、現在は建物は藤原京と平城京にそれぞれ別々に存在していたとされています。しかし、奈良市のものは現在まで残されていますが、こちらは存続していたのは11世紀ころまで。
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現在は建物は残っておらず、金堂や東塔、西塔の遺構がわずかに残るのみ。ここは奈良市の薬師寺と同じく、入口に中門、中央には仏像が置かれた金堂、その手間の東西に置かれた塔、背後に講堂を配するという「薬師寺伽藍配置」であったとされています。
金堂跡は、19箇所もの礎石(そせき)が残っていて、基壇は東西29.5m、南北18.2mと奈良市の薬師寺とほぼ同じ規模の広大なものだったとされています。そして、東塔の基壇も一辺14.2m、高さ1.45mと、奈良市の薬師寺と同じ規模であったと推測されるもの。とはいえ、現在は土壇だけが残っていて、祠だけが立っています。西塔の跡も残っていますが、こちらは奈良市へと移転した後に建造された可能性もあるとのこと。
本薬師寺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
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日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。
登録基準(ii)
文化の交流を示すもの
登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠
登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本
登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本
登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術
世界遺産マニアの結論と感想
本薬師寺は現在は遺構が残っているだけですが、現在は特別史跡に指定されており、金堂や塔の基壇などが確認できるという点でも貴重。そして、奈良市の世界遺産にも登録された薬師寺のルーツでもあり、日本の仏教史を辿ることができるというのが特徴です。
ちなみに周囲は田んぼで囲まれていますが、1996年から地元の農家によって休耕田にホテイアオイが植えられたことから、9月ころはホテイアオイの名所としての有名だったのですが、2022年に橿原市が財政難のため、植え付け事業を停止。今ではちょっと寂しい景観が続いています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。