奈良県の世界遺産候補「橘寺跡」とは?聖徳太子との関係性も含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(3),(4),(5),(6)
申請年(暫定リストに記載)2007年

橘寺跡は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。聖徳太子にゆかりがあるとされ、仏教の広がりとともに大いに繁栄した寺院とされています。ところで、橘寺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?

ここでは橘寺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、橘寺跡について詳しくなること間違なし!

目次

橘寺跡とは?

聖徳太子が建立した寺院?

奈良県明日香村に位置する同盟の寺院の中にある遺構。創建については聖徳太子であったと伝えられ、「聖徳太子建立七大寺」のひとつとしても有名です。実際の橘寺は考古学的には、7世紀初めにかけて建立されたと考えられていて、8世紀には多くの堂宇を持つ、繁栄した寺院であったとされるもの。

当時の伽藍の構造はさまざまな説があるものの、発掘調査では回廊が金堂と講堂の間に囲まれていた可能性があり、五重塔も存在していたということも分かっています。ここは飛鳥時代以降も皇族や貴族たちの庇護を受けていたものの、室町時代には戦乱によって焼き討ちにされ、それ以降は衰退してしまいました。現在の本堂(太子堂)は19世紀に再建されたもの。

二面石と遺構

画像素材:写真AC

境内には、古代の遺構が多く点在しており、当時を知る貴重な資料となっています。その中でも「二面石(にめんせき)」は飛鳥時代から残る石像で、二つの異なる顔を持つことから「二面石」と呼ばれており、顔の表情が善と悪を表しているとされています。

他にも塔の心柱の礎石が残っていて、ここは平安時代、1148年に落雷で消失した五重塔の跡地でもあります。

橘寺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。

登録基準(ii)
文化の交流を示すもの

登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠

登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本

登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本

登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術

世界遺産マニアの結論と感想

橘寺は焼き討ちにあったために現在の本堂は19世紀に再建されたものですが、境内には五重塔の遺構など、当時の姿が分かる部分も残っていて、その点では大変貴重な寺院でもあります。

ちなみに、伝承によると橘寺は聖徳太子が生誕した地に建てられたとされています。彼が明日香村のどこで生まれたのかはハッキリとはしていないものの、このあたりに「厩戸皇子」という名前の由来となった厩(うまや)があったとするのなら、なかなかロマンを感じますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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